神奈川県で開港祭と言えば、横浜開港祭のことでしょうか。1858年、無断で浦賀水道を越えて江戸湾内まで侵入していた米国の軍艦ポーハタン号(USS Powhatan)上で締結された、日米修好通商条約(Treaty of Amity and Commerce between the United States of America and the Empire of Japan)。
続いて、オランダ、ロシア、英国、フランスの各国との間でも、同様の二国間条約が締結され、それらの条約(五ヶ国条約)に基づき開港された四つの港のうちの一つである横浜港。
日米修好通商条約3条で規定されている日より3日前倒しをして、旧暦・安政6年6月2日(西暦1859年7月1日)に、横浜港は開港され、本年の開港祭は、6月1日(土)と2日(日)に行われるそうです。因みに、6月2日は開港記念日で、横浜市立の学校は、例年、曜日に関わらず、休みだそうです。
まあ、こちらは、知名度の高い横浜の催しなので、深入りはせず、今回は、今週末の5月25日(土)に横須賀の浦賀で行われます第21回咸臨丸フェスティバルについて、書かせていただきます。
咸臨丸は、1853年以降のマシュー・ペリー代将による砲艦外交(「gunboat diplomacy」の訳語。軍艦を派遣し、武力で威嚇しながら外交交渉を行うこと)の後、江戸幕府が、オランダ政府に発注し、1857(安政4)年に就役した軍艦で、木造3檣(3本マスト)の蒸気船だそうです。浦賀には、かつて、造船所(浦賀船渠(うらがせんきょ)、浦賀ドック)がありましたが、咸臨丸は、そこで建造された訳ではありません。
1860年、日米修好通商条約の批准書(instrument of ratification)交換のために、遣米使節団が、前述の米国の軍艦ポーハタン号で、米国の首都に赴くのですが、この時、日本からサンフランシスコまでをポーハタン号の随行艦として(復路、サンフランシスコから日本までは、単独で)航海したのが咸臨丸で、その咸臨丸は、品川を出港し、浦賀で、食料や燃料の補給などを行った後、旧暦・安政7年1月19日(西暦1860年2月10日)の午後3時30分に、浦賀を出港し、サンフランシスコに向かったそうです。これが、浦賀と咸臨丸の関係性です。
また、浦賀港は、先の大戦直後における引揚指定港で、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人の軍人、軍属、一般邦人の方々が到着された地でもあります。我が国の近代史にご興味があり、お時間の許す方は、横浜開港祭1週間前の今週末、是非、横須賀の浦賀にお越しください(自転車ごと乗ることも可能な浦賀の渡船も、悪天候でなければ、やってます)。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則
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