コラムニストの青木雨彦さんが亡くなられてから、かれこれ、もう23年(平成3年3月2日逝去)。奇しくも、青木さんが亡くなられた直後に、僕は、当時勤めていた会社から、突然、上京を命じられ、その月、3月の月末には、世田谷区にあったその会社の独身寮に、転がり込むように引っ越していました。
当意即妙で簡潔な、青木さんの文章。青木さんは、人生の悲喜、哀歓、それに、人情の機微を書かれ、僕は、即物的で現実的なことを書かせていただくばかり。書く内容こそ、全く違いますが、実は、言葉遣い、言い回し、文章の展開などなど、青木さんのそれらを、僕は、真似させていただいているようなものです。と言っても、洒脱さの欠ける拙文は、真似にさえなっていないことのほうが多いかと、思いますが。
その青木さんには、後に結婚されることになる女性と、横浜にある『港の見える丘公園』を訪れたときのことを綴られた文章があり、学生のころにそれを読んで、「あの青木さんにも、お若いころがあったんだ」と、思ったものです。
最近、十数年ぶりの者も含め、学生時代の友人数名と、"旧友再会フォーエバーヤング"することになり、僕の発案で、港の見える丘公園などに、昨夕、行って参りました。米海軍の黒い艦船が来航し、武力によって開港を迫られ開港した、主な4港のうちの一つ、横浜港。そして、特に明治時代に、貪欲に近代化を急いだ日本。
そんなことにも思いを馳せながら、港の見える丘公園から港を眺めた後、居酒屋に寄り、ここぞとばかり、堅物らしさを遺憾なく発揮しようと思い、「戦後、みんな、平気でデートって言葉使うけど、辞書を引いたって、"デート(date)"に対応する日本語の単語なんて、まぁ、出て来ないんだから」と言い、「デートなんて洒落臭いものは、そもそも、この国の文化と相容れない」ことを、ほのめかした積もりでいたら、「あら、"お出かけ"って言葉があるじゃない。訳語は、"お出かけ"でいいんじゃない」と言われ、あっけなく、撃沈。
やはり、女性は強し、か弱きオッサンは、駄文を綴るばかり。「旧友に感謝」の夕べでした。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則