オバマ氏の東アジア外遊と、ベトナム戦争後の米国の動き | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 何ともはや、日本は軽量級の扱いをされているよな。日本国民のうちの一人として、今般の日米首脳会談について、まず、そう感じました。来客に対する待遇が国賓待遇か否か、バラク・オバマ米国大統領がどこに泊まられて、どこで何を召し上がるかなどは、日米首脳会談に向けて何を交渉し、何を決定し合意に達するかに比べれば、枝葉末節ではないでしょうか。

 オバマ大統領の、東アジア4か国歴訪。日本、韓国、マレーシア、フィリピン。日本を訪問する機会を利用して、東アジアの他の国々も訪問するのではなく、オバマ大統領は、外遊先として、並列的な扱いをされている。残念ながら、そのようにしか見えない、今回のオバマ大統領の東アジア外遊。

 米国は、ベトナム戦争での実質的な敗戦の時期以降、米国経済を立て直そうと、まず、主要国の通貨間の交換比率を、定率ではなく変動する制度、いわゆる変動相場制に、人類の歴史上初めて、他の主要国と充分な議論もせず移行させました。それでも、米国経済が立て直らず、次に、やれ、貿易摩擦(trade friction)だと言って、貿易相手国に対し、関税とそれ以外、いわゆる非関税障壁を撤廃するよう、無理強いをすることを、今に至るまで続けています。

 主要国の最低賃金額の格差が、桁違いなほど拡大すれば、工場が、ごく少数の国に集中し、国際経済が安定しなくなるのは、火を見るよりも明らかです。

 全くの余談ですが、ベトナム戦争と言えば、その集結に向けて和平交渉をした、ヘンリ・キシンジャー氏とレ・ドク・ト氏に、1973年、ノーベル平和賞が贈られましたが、レ・ドク・ト氏は、受取りを辞退されたまま、1990年に、亡くなられています。うーん、時間がなくなってきましたので、ここまでとし、アップロードさせていただきます。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則