東京の千鳥ヶ淵や九段坂周辺の桜は、今日辺りは、どのような塩梅なのでしょうか。5年前の4月に、当ブログで、「青森県出身の歌手、淡谷のり子さんが、昭和20年、風雲急を告げるころに、鹿児島県鹿屋(かのや)にある基地に慰問で訪れたときの出来事」について、書かせていただきました。
淡谷さんが、慰問先で、当時歌うことを禁じられていた「別れのブルース」などを歌っている最中に、急に席を外す若者が数名いて、淡谷さんは、全て歌い終えた後、その場の責任者に「失礼ではありませんか」と不満を漏らされたそうです。すると、その責任者の方は、「彼らは特攻隊の若者で、先ほど出撃しました」と答えられたそうです。そして、島倉千代子さんの『東京だョおっ母さん』という歌には、桜が出てくる箇所がございます。
やさしかった兄さんが田舎の話を聞きたいと
桜の下でさぞかし待つだろ
おっ母さん
あれがあれが九段坂
逢ったら泣くでしょ兄さんも
子に過ぎたる宝なし。この国では、古来、子は宝で、向こう三軒両隣、村ぐるみ町ぐるみで、子供を見守り、育ててきたのではないでしょうか。もし、この国が、未曾有の危難に直面し、「多くの国民を救うために、誰かが犠牲にならなければならない」という状況に陥ったら、誰が手を挙げるべきか。
どんなときでも、責任を負うべきは大人であって、「まだあどけなさが残る若い身空の者に、手を挙げさせた」という事実を、歴史の彼方に葬り去ってはならない。
ごくたまにですが、僕は、靖国神社で手を合わせますが、そういう思いがあって、靖国神社に伺っています。決して、戦闘行為を美化している訳ではありません。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則