『書を捨てよ町へ出よう』と、多生の縁と、歩きスマホ | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 かなり昔、僕が生まれた頃に、『書を捨てよ町へ出よう』(著者:寺山修司)という書物が発行されたそうです。そして、同名の舞台や映画も、あったそうです。
この作品に関し、「『書を捨てよ』ということは、まず、書物を手にし、読んだということだろう」と仰ったのが誰だったか。あれやこれやと、記憶を辿ってみたのですが、歌手(歌作りや舞台製作もされています)小椋佳さんだったか、コラムニストの青木雨彦さんだったか、それとも、それ以外の誰かだったか、全く思い出せません。

 『書を捨てよ町へ出よう』という題名を見て、早とちりし、「なんだ、書は要らないのか。本など読まずに、とりあえず、町に出よう」と思う人もおられるかもしれません。しかし、誰が仰ったか思い出せませんが、仰る通り、書を手にして読んだ人でなければ、「紙を束ねたもの」という、物質としての書ではなく、「書かれていること」という、中身としての書を、意識の中から、一旦、捨て去ることはできません。

 良書であれ悪書であれ、書物を読んで、今まで気付かなかったことに気付き、今まで知らなかったことを知ったら、それで満足せず、書物を閉じて町に出て、今度は、文字や数字などの記号ではなく、刻々と変化し続ける現実と、格闘しよう。『書を捨てよ町へ出よう』という題名は、そういう意味ではないかと、僕は思っています。そもそも、『書を捨てよ町へ出よう』は、書物の題名ですので。

 袖振り合うも多生の縁。書を読むときは、しっかりと読み、町へ出て人と接するときは、可能な限り先入観を排して人と接するよう、心掛けたい。町へ出ると、小さな画面を見ながら歩いている人を、かわしながら歩くことが、やたらと多くなった昨今、そのように、僕は思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則