僕の誕生年月日(birthdate)の月日の部分が、たまたま、著名な音楽家であり企業経営者でもある大賀典雄さん(故人)の誕生月日と同じであることは、5年ほど前に書かせていただいたのですが、この日付けは、台湾生まれの歌手であるテレサ・テンさん(故人)の誕生月日でも、あります。
そのテレサ・テン(中国語では、鄧麗君)さんは、1980年代の後半に、中華人民共和国における民主化運動を支援する活動もされていました。当時の中国共産党の、事実上の最高指導者は鄧小平氏。鄧小平氏の基本姿勢は、「民主化も大切だが、優先すべきは、民主化ではなく、国力の増強」というもの。
二人の鄧さん。中国語では、一文字の苗字の前に[老]を付けて、例えば、老鄧と呼びかければ、敬意を表せます。また、一文字の苗字の前に[小]を付けて、例えば、小鄧と呼びかければ、親しみを表せます。なので、当時、面従腹背であることを暗に示す、「昼間は、老鄧の言うことを聴き、夕方になれば、小鄧の歌を聴く」という言い回しが、あったそうです。
そんな鄧小平氏は、失脚と復帰を繰り返し、毛沢東氏が1976年に死去した後、ようやく、中国共産党において実権を掌握しました。若き日に、モスクワで学生生活を送る前に、パリで生活したことがある彼は、民主化に一定の理解を示しつつも、なぜ、あれほどまでに、改革開放を急いだのでしょうか。
冷戦下の軍拡競争の末、国家財政が極度に逼迫するに至ったソ連。経済を軽視し国家財政が傾けば、その国はどうなるか。鄧小平氏の頭の中には、凋落の一途をたどるソ連から得た教訓が、早々と、あったのではないでしょうか。
政治が三流以下ならば、経済を重視している積もりでいても、国家財政が傾きます。国家財政が傾けば、早晩、その国はどうなるか。人類がたどってきた道、歴史を詳察すれば、答えは、明らかでしょう。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則