普(あまね)く近代化を推し進めたことと、和の心 | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 1893年、米国海兵隊が、オアフ島に上陸し、イオラニ宮殿を包囲して、ハワイ王国のリリウオカラニ女王を宮殿内に軟禁している間に、臨時政府の樹立と王政の廃止を、宣言する。そのようにして、ハワイ王国が倒されたことを、前回の投稿で、端折って、ご紹介させていただきました。ハワイ諸島は、その後、1898年に米国の属領となり、1959年8月21日に、米国の州(state)になりました。
ハワイ州は、米国の他の49の州と比較すれば、「どちらかと言えば、穏やかに成立した州」に分類されるのではないでしょうか。

 大航海時代以降、人類は、船舶を使って、海外に進出するようになりました。北米、南米、アフリカ、アジア、オセアニアに進出し、もちろん、利便性の高い地域には、とっくの昔から、人が住んでいる訳で、多くの地域で、先住の人々が、殺戮されたり、政治的、かつ、経済的に、隷属させられるようになりました。

 植民地という語は、そもそもは、「植民(=入植者、移住民)の地」を指す語に過ぎないのですが、多くの地域で、そのような歴史があり、「先住の人々が、政治的、かつ、経済的に、隷属させられている地域」という意味合いで使われることが多いように、思います。
その結果、「意図的か意図的でないかは、存じ上げませんが、植民地というものを十把一絡げにし、日本帝国の植民地においても、先住の人々が、隷属させられていたかのように語る人」が、おられるようですが、そのような人は著しく事実を誤認していると、申し上げざるを得ません。

 鉄道を敷設する。上水道を整備し、医療の水準を向上させるなどして、公衆衛生を保持する。教育制度を整え、高等教育を受ける機会を付与する、等々。様々な社会基盤を、日本は、日本の技術と資本を惜しみなく投入して、整備しました。なぜ、日本は、普く(=広く隅々まで)近代化を推し進めたのか。
世を治め、国を豊かにし、民を救うこと、つまり、経世済民こそが、政府の仕事だからでしょう。

 かつて、日本が統治した地域では、テロ行為が、あまり見られませんが、故なきことではないと、僕は思っています。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則