友人の非行は放置せず、心を込めて忠告し反省を促すべき | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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 「広島と長崎の市街地で原爆攻撃を実行したことについて、今、どう思われますか」という問いかけに対する、米国退役軍人の、よくある返答「原爆を投下していなければ、戦争の終結が遅れ、より多くの日本人が亡くなっていたはず」について、前回の投稿で、「無理無体な言い草」とまで、書かせていただきました。

 1945年6月に沖縄での戦闘が終結した時点での、日米の物量の差や兵力の差、それに、その時点での欧州の情勢を考え合わせれば、米国軍にとって、「続いて、焦土と化していた東京に地上部隊を投入して東京を制圧し、東アジアでの戦闘を集結させる」ことは、そう難しい作戦ではなかったのではないか。
1945年8月に、成らず者国家、ソ連の暴挙に対抗することができず、あっという間に、南樺太や千島列島が、不法占拠されるに至ったことなどを考え合わせ、僕は、そう思います。

 焦土と化していた東京に地上部隊を投入して東京を制圧し、もっと早く、東アジアでの戦闘を集結させなかったのは、連合国側の事情によるのではないでしょうか。そもそも、主に非戦闘員が居住する市街地に対し、絨毯(じゅうたん)爆撃を行うという戦争犯罪を、1945年3月10日以降、本格化させ、執拗に繰り返しておきながら、「原爆の投下がなければ、より多くの日本人が亡くなっていたはず」という、自責の念が全く含まれない発言をするというのは、一体、どういうことなのでしょう。

 そういう思いがあり、前回の投稿で、敢えて、「無理無体な言い草」という言葉を使わせていただきました。日本と米国が、今後も、友好国、同盟国であり続けるためには、相手の非行を、決して放置せず、友人として心を込めて忠告、戒告し、反省を促すべきではないでしょうか。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則