*2019年4月7日(日)14時40分 記事のタイトルを、ほんの少し変更しました。
日本人は、時に、生真面目すぎるのではないか。そう、思うことがあります。「先の戦争を終結させるために、広島と長崎の、主に非戦闘員が居住する市街地に、原爆を投下するという攻撃を行った。原爆を投下していなければ、戦争の終結が更に遅れ、より多くの日本人が亡くなっていたはずである」と、言われれば、「おかしいな。無理無体な言い草だな。だけど、先の戦争で米国と戦い、負けたのだから、黙って受け入れるしかない」と、思って、堪え忍ぼうとする。
戦闘が終結し、当事者が諸々の取り決めに合意して、講和のための条約が発効し、当事者が、その条約に基づく債務を履行した後は、「戦勝国だから、未来永劫、好き勝手にしていい」とか「敗戦国だから、未来永劫、堪え忍ばなければならない」ということは、ない。講和条約が発効し、平和を回復する、主権を回復する、独立を回復するということは、そういうことです。
そのことを指して、先々月、「戦争状態は終了しましたので、今の日本は、言わば元敗戦国です。決して、あの日(1945年8月15日)からずっと、敗戦国という地位に居続けている訳ではありません」と、書かせていただきました。
戦争犯罪の概念、定義は、時とともに、変化、拡大してきましたが、「戦争で勝った国の戦争犯罪は、看過される」という内容の国際法など、ございません。昨年の2月に、生まれて初めて沖縄を訪れたのですが、訪れるにあたり、僕なりに、地域研究をしました。そのときに、初めて、対馬丸(対馬丸記念館のキッズページは、こちら。対馬丸を撃沈した米国海軍の潜水艦ボーフィン号のページは、こちら。因みに、ボーフィン号の「博物館及び公園」は、ホノルルのパールハーバー湾の湾岸にあります)の事件を知りました。いわゆる海戦法規上、商船であっても軍事物資を輸送する船舶は、軍事目標になり得るそうです。
米国海軍は、もしも、学童が乗っていたことに気付かなかったとすれば、風雲急を告げる沖縄を出航し長崎に向かう対馬丸に、何が積載されていると判断して、撃沈したのか。サイパン陥落後、沖縄での戦いが想定される中、沖縄に向かう商船であれば、軍事物資を積載していたかもしれませんが、撃沈された対馬丸は、沖縄を出航し長崎に向かっていました。
フランクリン・ルーズベルト大統領やハリー・トルーマン大統領に、「アジア人であれば、戦闘員、非戦闘員の区別なく、殺害しても構わない」という思いが、あったのではないか。戦争で勝てば、何をやってきても国際法の適用を免れる訳では、決してない。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則