便利過ぎず、さりとて、不便利過ぎず | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 便利過ぎず、さりとて、不便利過ぎず。中庸であることの大切さを痛感し、そう、自分に言い聞かせることがあります。特に、3年前の春に、福島第一原子力発電所において、重大な原子力事故が生じて以降、便利過ぎることの功罪と申しましょうか、光と影について、考えざるを得ません。

 ただただ、便利を否定するのでもなく、さりとて、清貧を旨とするのでもない。現に今、僕は、自宅の電灯の下で、インターネットに接続されたMacBook Airに向かい、この文章を書いています。しかし、「安くて便利であれば、それで良し」と思っていた若かったころと比べれば、随分と、使用する家電製品の品数を絞り込みました。

 テレビ受像機を使っていないのは、便利、不便利とは違う別の理由もあってのことですが、以前、使っていた、本体重量が100kg近くする洗濯乾燥機や、自分の背丈ほどもある冷凍冷蔵庫は手放し、今は、"初心"に戻って、二槽式洗濯機を使っています。単身者用の小さな冷凍冷蔵庫も、思うところあって、3年前の春から、実験的に一切使っていません。この実験は、死ぬまでずっと続くかもしれません。

 3年前の春からは、現に使用している空調機器は、扇風機のみ。つまり、電気やガスで動く暖房器具は、一切、使っていません。寒いから、食べるもの、着るものに関し、色々と工夫をするし、休みの日に走る。防大生に、ばんばん抜かれても、めげずに走る。走るから、寒さに対する耐性が増すし、食べ物がより美味しく感じる。

 自動車に関しては、オートマチック車全盛の世に馴染めず、パワーウインドウに馴染めず、パワーステアリングに馴染めず、それ以外の理由もあって、"一時的"に手放しました。加齢や疾病により、自分の足で歩いたり、鉄道を利用したり、自転車に乗ることに不安を感じるようになれば、また、自動車のお世話になろうと思っています。

 世間で主流の思考や行動様式から、かなり掛け離れているのは、重々、自覚していますが、特に、福島第一原発で発電された電力の送電先で、便利で快適な生活を送らせていただいてきたことを考え合わせれば、未だ、手放しでばんばん、電気を使う気になれないで居ります。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則