インターネット上のブログというかなり広い場において、横須賀市内の一地域に過ぎない走水(はしりみず)にまつわる投稿が続き、ひょっとして、続けてお読みいただいている方がおられれば、辟易されているとは思いますが、もう少しお付き合いを・・・。
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三浦半島は、その字の通り、三つの海、相模湾、浦賀水道、東京湾に囲まれていて、僕は、最近、休みの日に諸々の状況が許せば、気の向くまま足の向くまま、三浦半島の海岸沿いまで電車・バス・自転車を組み合わせて移動し、海岸沿いの道を走るようにしています。
東京湾側だと、馬堀(まぼり)海岸から走水、観音崎へ至るコースを走ることもあり、このコースを走れば、ときに、屈強そうな若者に追い抜かれたり、そういう若者とすれ違ったりすることがあります。
その屈強そうな若人のうちの多くは、恐らく、防衛大学校の学生でしょう。学生といっても、彼らは、国家公務員法2条3項の16号の「防衛省の職員」に該当するので、特別職の国家公務員ですが。
彼らは、将来、幹部自衛官(防衛省設置法15条1項)となり、国防の任務を全うとすることを志す、前途有為の若者です(任官を拒否する者がいない訳ではないですが)。
「拓郎が、あの曲やこの曲をレコーディングした観音崎マリンスタジオのあった場所って、ここか」などと思いながら、ただただ意味もなく走るオッサンが、彼らに追い抜かれるのは、至極当然のことでしょう。
米国海軍ペリー代将の艦隊が、本州の他の場所ではなく、東京湾の入り口辺りにある浦賀に来航したのは、決して偶然ではないし、その浦賀にほど近いこの地に、防衛大学校があるのも、決して偶然ではない。
また、ペリー代将の艦隊は、浦賀に来る1か月余り前に那覇に来航し、ペリー代将は、大砲と共に上陸し海兵隊を率いて首里城まで行進し、那覇港の開港を迫っているが、これも、決して偶然ではない。
ついでに申し上げれば、米国は、1945年3月10日以降、日本に対し、いわゆる戦時国際法に違反する空襲、空爆を加速させたが、横須賀に対しては空爆をしなかったのも、もちろん、偶然ではない。戦略の本意は、長期的にものごとを捉えて計画を練り実行することであると、僕は考えています。少々長くなり、申し訳ないです。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則