自民党は、あの時の失敗を忘れてはならない | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

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刑法222条1項
生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。



 決して、テロリストと交渉してはならない。テロリストと交渉するということは、テロリストに対し、「テロを行って政治的要求をした場合、その要求が受け入れられる可能性は、必ずしもゼロではない」と宣言するに、等しいからである。

 テロリストと交渉し、要求を受け入れた結果、世界中で次から次に、ハイジャック事件が発生した時期がある。日本も、例外ではなかったはずだ。よど号事件やダッカ事件で、日本政府が受けた屈辱を、その時の与党である自民党は、忘れてはならない。
そういう思いもあって、過日、「在外邦人等の日本への輸送(自衛隊法第84条の3)は、在外邦人等の救出と一体のものとして、遂行すべきである」と、書かせていただいた。

 ダッカ事件の際、福田赳夫首相(当時)は、「人一人の命は、地球より重い」という内容の発言をされたそうだ。テロリストの要求を受け入れたことは、確実に、次のテロ行為を誘発し、現に、テロは繰り返され、その度に犠牲者が出ている。「後々のテロの犠牲者の命は重くなく、運が悪かった」だけなのか。
もちろん、私は、当時の日本政府の判断を批判できるような大人物ではない。ただ、後に生まれた者は、先人の苦悩や失敗から学ぶべきであり、先人の苦悩や失敗を無駄にしてはならないと、思っている。

 ダッカ事件のとき、人質の方々は、数回に分けて解放され、人質の方、全員の解放が完了した場所は、ダル・エル・ベイダ(Dar El Beida)空港だそうだ。その空港は、イナメナス空港から1133kmほど離れたところにある。
今は、ウアリ・ブーメディアン空港と呼ばれる、その空港は、アルジェリアの首都、アルジェの空港である。

 やはり、決して、テロリストと交渉してはならない。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則