驛舎跡、昭和は遠くなりにけり | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 前々回の投稿で、「鷲羽山(わしゅうざん)辺りから見る、夕焼けに染まる瀬戸内海」の穏やかさについて、少し、書かせていただいた。意図的に、「鷲羽山辺りから見る」と書きました。鷲羽山の山頂は、瀬戸大橋の東側にあり、そこから夕陽を拝もうとすれば、必然的に、瀬戸大橋越しに夕陽を見ることになる。
一例に過ぎないが、瀬戸大橋の西側にある鷲羽ハイランドホテルから、夕陽を眺めれば、瀬戸大橋は見えない。

 私のような野暮で無粋な者が美醜を語ることは、笑いぐさであるが、私は、あの場所に、あんな鉄の塊りのような構造物があることは、美しいことではないと、感じている。瀬戸内の海に白波が立つことは、一年間を通して、あまりない。台風が通過するときぐらいである。

 あの橋ができる前は、玉野市の宇野と高松市の間を、フェリーが頻繁に行き交っていた。不満を感じていた者は、そう多くなかったのではないか。むしろ、長距離運転をする車の運転者にしてみれば、フェリーに乗船している1時間は、大広間のような所で、横になってくつろいだり、甲板から瀬戸内の小さな島々を眺めたりして、ゆっくり過ごすことができる時間であったはずである。

 瀬戸大橋は、数少ない、鉄道と道路が共存する橋のうちの一つであるが、その下をくぐり、下津井港まで伸びていた下津井電鉄線が、二十数年前、平成の世になって、そう時を経ずして、廃止されたことは、やはり、今でも、うら悲しい。驛舎跡、昭和は遠くなりにけり。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則