未だ成らずの者を諭す時は、結論をはっきり言うべきである | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。

 こう言ってしまえば、元も子もないが、言葉自体は、所詮、記号の束に過ぎない。各個体の脳は、その個体が死を迎えるまでずっと、寝ても覚めても、脳に集められた情報に対し、反応し続ける。

 全く同じ記号、例えば、『蜜柑オレンジ』に接しても、皆の脳が、全く同じように反応する訳ではない。もし、「特定の記号が、不当に他人を蔑(さげす)む意味をも含んでいる」と、多くの者が思うとしても、記号自体に、罪はない。元々、多くの人が、「不当に他人を蔑むとは、どういうことか」を、その人なりに理解していて、その理解を言語化するに当たり、特定の記号を当てはめたに過ぎないからだ。

 突然、こんなことを書かせていただいたのは、あまりにも本末転倒である出来事にでくわことが、多々あるからである。
子供に、「その語は差別語だとされているから、言ってはいけませんよ」と諭せば、「差別語とされていない語であれば、何を言っても良いんだな」という風に、なりかねない。「そういう言葉を使うことによって、不当に他人を蔑んではいませんか。不当に他人を蔑んではいけませんよ」(子供向けの言葉遣いが分からず、申し訳ないです)と、諭すべきである。

 もっと、はっきりと申し上げれば、街中などで、子供が、「そんなことをしたら、また、誰それに怒られるよ」だとか、「言うことを聞かないのなら、怒るよ」と言われて叱られている場面に、よく遭遇する。その度に、本末転倒じゃないかと、思ってしまう。幼い子に、そんな言い方をしたら、「怒られなければ、何をやっても良いんだな」という風に、なりかねない。「そんなことをしたら、不当に、他人様に迷惑をかけることになる。不当に、他人様に迷惑をかけてはいけませんよ」(重ねて、子供向けの言葉遣いが分からず、申し訳ないです)と、叱るべきである。

 成らず者は、「相手が折れるまで、嘘を言い、言い掛かりをつけ続ければ、なんとかなる」と思っている。中長期的に見れば、事なかれ主義こそが、成らず者国家の、次の蛮行を誘発し、結果として、事は、なくならない。本末転倒である。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則