「人間は、愚かな生き物だ」と、いうことなのか。人間は、後天的に、つまり、生まれてから、多くのことを学ぶ生物である。そもそも、愚かでない生き物ならば、後天的に多くのことを学ぶ必要はない。また、後天的に学んだ多くのことは、遺伝子によって次世代に遺伝したりはしない。次世代の者も、同じように、後天的に学ぶしかない。
教育の質が低下すれば、国民は、後天的に多くのことを学ぶ機会を得にくくなり、逆に、教育の質が向上すれば、国民は、後天的に多くのことを学ぶ機会を得やすくなる。
前回の投稿の4段落目で、とても歯切れが悪い一文を、書かせていただいた。あれで良かったのだろかという思いがあり、様々なことを考えた。人間は、愚かな生き物だ。
「隣国の首相の親書を、書留郵便で送り返す愚か者がいて、それを受け取る愚か者がいる」と、はっきりと書くべきだったと、今は思っている。
人にはそれぞれ、得手不得手がある。愚かな行為をしている人は、通常、愚かな行為をしていることに気付いていない。気付いていないからこそ、平然と、同じ愚かな行為を、繰り返している。周りにそういう人がいれば、隣人として、見て見ぬ振りをすべきだろうか。
誰にだって、得手不得手がある。自分が、気付かずに愚かな行為をしてしまったときに、それを知らせてくれる人は、真の友人である。もちろん、その場では、激しい感情の対立が生じるだろうが、時間が経って振り返れば、真の友人である。
そういう思いで、前回の投稿の「何とか」の部分が何かを、はっきりと書かせていただきました。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則