「ナチスの強制収容所で、クリスマスを過ぎると、亡くなる方の人数が一気に増えた」という話を、どこがで読んだことがある。見通しが立たないということは、人を不安にし、死に追いやる。逆に言えば、見通しが立つならば、悲惨な極限状態におかれても、人は、精一杯、生きる力を振り絞る。
失われた10年だとか20年だとか30年という言葉があるが、私は、この言葉が何を指しているのか、よく分からない。
元ネタは、英語の"Lost Generation"という言葉かもしれないが、この"lost"は、"lost child"(=迷い子)の"lost"であって、「道に迷った、途方に暮れた」という意味である。「失われた」という意味ではない。
今の時代、国家百年の大計を立てるのは難しいかもしれない。政治家は、特に若い政治家は、国家五十年の大計を立てているだろうか。50年後に生きている可能性が高いお若い政治家にとって、50年後のことは、我が身のことであるはずだ。
昨夏、私は、「赤字国債の残高(現在、394兆円)を、25年かけて、0円にすることは、充分可能である」と、書かせていただいたが、虚しく、1年弱の月日が過ぎ、自身の非力さを痛感している。
場当たり的な政治が続く限り、全ての世代の国民は、途方に暮れた「迷い子世代」(Lost Generation)である。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則