最近、3回ほど、"官僚の暴走"という言葉を使わせていただいた。ちょうど3四半世紀前、つまり75年前の7月に起きた盧溝橋事件以降、戦争にひた走った陸軍省のみを念頭において、官僚の暴走と書いた訳ではない。
盧溝橋事件の翌年1938年の1月に、内務省から分離独立する形で、厚生省が設置された。ひたすら国民の健康を願って設置されたのかどうかを知りたくて、厚労省のウェブサイトを閲覧してみたが、未来志向なのだろうか、沿革に関する情報は、全く載せられていない。
その厚生省の大臣などが署名し、1941年3月11日、労働者年金保険法が公布された。後に、厚生年金保険法と改称される法律である。ひたすら労働者の幸せを願って公布されたのかどうかを知りたいが、知る術はない。確認のため繰り返すと、公布の日は、1941年3月11日である。日中戦争のさなかである。太平洋戦争が始まった年の春である。
我が国の、民間人向け公的年金の先駆けは、1939年4月6日に公布された船員保険法に基づく船員保険であるが、いずれにせよ民間の労働者の公的年金制度は、そういう時代に、突如、開始された。
1959年4月16日に公布された国民年金法に基づく国民年金は、当初は、自営業者を対象にしていた。が、1985年に改正法を通し、国内に居住する20歳以上60歳未満の全ての人が加入する制度になり、「全ての人のための基礎年金になった」と、厚労省は言い張っている、いや、言い続けている。
その国民年金の、老齢基礎年金、障害基礎年金、遺族基礎年金の給付に要する費用の総額に、当該年度における
(1号と3号被保険者の総数)÷(国民年金被保険者の総数)
の値を掛けて得た金額の半分ほどは、国庫が負担する、つまり、税金を投入することになっている(国民年金法85条1項1号)。
その国庫負担に関し、民主党政権は、年金交付国債なるものを発行しようとしているが、その内容は読むに堪えないものである。財務官僚、厚生労働官僚の暴走について、書こうとしているが、長くなったので、続きは次回以降にさせていただきます。
神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則