日本人は、熱しやすく冷めやすいのか。国民年金保険料の未納が問題になれば、そればかり報道する。旧社会保険庁の年金記録の不備が問題になれば、また、そればかり報道する。時が過ぎれば、いつしか報道されなくなる。
前回のブログで、「自分が年老いたときに、ひとつ上の世代ほどには、楽な生活ができないのは困るから、少子化対策をして子供を増やせ」という意見は、少し身勝手ではないだろうかということを、申し上げた。抽象的な言い回ししか使わなかったけれど、もちろん、公的年金のことを念頭に置いて、申し上げた。
民間組織の一般労働者向けの公的年金の歴史は、1942年に施行された労働者年金保険法から始まる。1944年に法律の名称が厚生年金保険法に改められ、保険が適用される労働者の範囲が拡大された。戦時中である。労働者が豊かな老後を迎えられるようにするために、厚生年金保険制度が、導入されたわけではない。戦時中で財政難だから、導入されただけである。
ついでに申し上げれば、旧厚生省が、内務省から分離独立する形で設置されたのは、1938年である。廬溝橋事件が起き、日中戦争が始まったのが、1937年である。
国民年金や厚生年金保険や共済組合などの公的年金の、老齢に伴い支給される年金は、『世代間扶養』という考え方に基づいて、やりくりされている。世代間扶養とは、ざっくり言えば、「本年度、現役世代から、一定の保険料率(厚生年金の場合、現在15.704%)で集めた保険料を、本年度、65歳以上の受給資格者に、老齢の年金として配る」ということである。
ちなみに、日本の総人口における65歳以上の人の割合は、23%である。論点をはっきりとさせるために、細部を端折って申し上げる。
保険料率が15%であるなら、老齢の年金を受給できる人は、年齢順に上から15%以内の人に限定しなければ、当然のことながら、年金財政は逼迫する[注1]。つまり、「保険料率 ≧ 受給資格者数÷総人口」でなければ、財政は逼迫する。
保険料率を定めて保険料を集めるのなら、受給できる人も、65歳などという年齢で区切るのではなく、人口比率で区切らないと、世代間扶養というのは、成り立たない。なので、現在の『世代間扶養』は、明らかに、持続可能な仕組みではない。
冗長な文章をここまで読んでいただき、ありがとうございます。長くなったので、きょうは、これくらいにいたします。
[注1]
現役世代の生活水準の平均と、受給資格者の生活水準の平均が、同じになるように、年金受給額を設定した場合の試算結果です。