金正日氏の死去に際し、弔意を表す人と表さない人の違い | 佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

佐藤 政則「不易流行 -日本再生に向けて-」

変わらぬ理念の実現を目指し、しくみを修正する。
実態に合わなくなった諸制度を見直し、日本国を良くすることを目指す、政治ブログです。


少々古いニュース記事で、大変申し訳ない。

 「村八分」という言葉が、日本語にはある。村落共同体の構成員の中に、極悪非道の輩がいて、普段は仲間外れにしていても、その輩の家が火事になったときは、みんなで消火活動をし、その輩が死んだときは、みんなで葬儀を執り行うことを指す言葉だと、言われている。
たとえ、生前、極悪非道の行いをした者であっても、亡くなったときには、みんなで弔う。弔って、その者に対する憎しみを、そこで断ち、その憎しみを次の世代に伝えないよう、努める。

 「仏になる」という言葉が、日本語にはある。往生すること、この世からあの世に行くこと、もっと平たく言えば、死ぬことを指す言葉である。生前、極悪非道の行いをした者であっても、亡くなれば、「仏さんになった」と言う。あの世に行ってしまって、この世にいないのだから、この世で、その者に対する憎しみを、これ以上引きずって生きていても仕方がないという考えの、表れか。

 どちらの言葉も、憎しみの連鎖を断ち切って、みんなが安心して暮らせる社会を築きたいという和の心を感じる言葉である。

 昨年末に、北朝鮮の朝鮮労働党中央委員会総書記、国防委員会委員長などを兼務していた金正日氏が亡くなったとき、私は、「日本国政府は、どういう形で弔意を表し、和の心を大切にする日本国民の品格の有り様を、世界に示すのだろうか」と思い、様子を見ていた。何もしなかった。
拉致被害者の救出が、全く進展していない。情を排し、単に戦略的に申し上げれば、外交上の大失策である。

 変人と呼ばれた小泉純一郎氏は、金正日氏死去後一週間以内に上京し、朝鮮総連の中央本部を訪れ、弔意を表している。


神奈川県横須賀市にて
佐藤 政則