米国にとって、ニクソンショック後の40年は、果たして"想定内"の40年だったのだろうかと、ここ数日、考えている。基軸通貨であるドルと他の主要な通貨の交換レートは、ベトナム戦争の末期である1973(昭和48)年に、固定相場制から変動相場制に移行した。
戦後、いち早く復興した欧州の国々や日本は、米国市場への輸出を増やすことによって、より一層、経済を成長させた。「変動相場制にして、ドル安になれば、米国の貿易収支の赤字を解消することができる」という想定の下、変動相場制が始まり、実際、ドル安が進行した。しかし、米国の貿易赤字傾向は、あまり改善されなかった。
1985(昭和60)年には、日米英独仏の財務相らがプラザホテルに集まり、いわゆるプラザ合意をして、協調してドル安を進行させることを決め、その後、実際にドル安が進行したが、米国の貿易赤字傾向は、さほど改善されなかった(経産省の通商白書2004の38ページ下部の図表を参照)。
さらなる円高で、日本から米国への輸出が減っても、中国から米国への輸出が増える。曲がりなりにも、ドルが基軸通貨である限り、経済新興国は、真っ先に米国への輸出を増やす。米国の貿易赤字で、米国外に溜まり、行き場を失ったドルは、どこへ向かうのか。安定した投資先として、米国債へも流れてきたが、一部の米国債が債務不履行になれば、どうなるのだろうか。米国債のお得意先は、日本や中国である。
世界経済が、ますます一体化しているにも関わらず、世界には、複数種類の通貨が存在している。そして、自国通貨を安定させるために、通貨当局は、膨大な額の資金を用意して、市場に介入する。自国通貨の安定のためだけに、通貨を売り買いする。人間は、何をしているのだろう。通貨とは、何なのか。
ニクソンショックから40年、通貨を再定義すべき時期がきているのではないだろうか。
神奈川県にて
佐藤 政則