私の両親は、四国の愛媛県の生まれで、昭和20年の夏、広島市に、ウラン型の原子爆弾が投下されたとき、広島市とは、瀬戸内海をはさんで"対岸"にある松山市にいた。父の思い出話によれば、その朝、北の空が、異常なほど明るくなり、「米国が、新型爆弾を使った」と、大人達が、口々に話していたそうである。
たいていの文明の利器は、戦争の影響を強く受けている。人類は、戦争に勝つために、技術革新を成し遂げてきた。高性能な戦車や戦闘機を生産する技術が、後年、自動車や飛行機の性能を、向上させた。
先の大戦中、日本も原子爆弾の研究開発を行っていた。まるで、そんなことは、なかったかのように、「日本は被爆国であり、原子力の利用は、厳格に平和的目的に限っている」と、主張される人がおられる。どうすれば、そんなに都合良く、都合の悪いことを忘れることができるのだろうか。羨ましい限りである。
以前、書きました通り、私は、表立って、原子力発電に反対してこなかった。なので、私は、今般の原発事故に関して、東京電力を一方的に批判するつもりは、全くない。テロ攻撃を受けた場合の被害の甚大さと、テロ攻撃に対し脆弱であることを、考え合わせれば、原子力発電施設は、全廃すべきであると、今の私は、思っている。
またしても、子や孫の世代の国民に、"負債"を残してしまった。今日、生まれた国民は、「福島第一のおかげで安価な電力を確保する」という利益を、受けることはない。私たちは、そういう彼らに、福島第一の放射性物質を封じ込め続けるという、非生産的で危険な仕事を、強制的に割り当てたのである。
それでもなお、原発を存続させ、安価な電力を確保して、現在の快適過ぎる生活を、維持すべきなのか。
神奈川県にて
佐藤 政則