国会議員の劣化、稚拙化は、歯止めがないかのようである。手持ちのPSPでテレビを見ても、「あのとき、私は野党だったので」「その政策を推進したのは、あなたがた自民党でしょ」、そういう発言をして、自身には責任はないと言わんばかりの与党国会議員が、未だに、跡を絶たない。日本国民として、情けなく思う。
多数決で、物事を決める。あるいは、委員を任命して委員会に、物事の決定を委ねる。あるいは、法律の範囲内で、官公署が物事を決める。物事を決める方法は、たくさんある。
当たり前のことを何度も申し上げて申し訳ないが、最高裁判所により違憲であると決定されていない法律、命令、規則、処分は、それらの決定過程において、賛成したり、委員を務めていたり、官公署の長を務めていたりする者のみの責任に基づいて、効力を有しているわけではない。
この国において、主権者、つまり、(国家)主権という権利を持っている者は、国民である。集合体としての国民である。全ての国民は、この集合体の構成員である。だから、上記の法律、命令、規則、処分は、全ての国民の責任に基づいて、効力を有している。
単に、国民主権、民主主義のイロハを、述べたつもりである。そういうイロハさえ、心得ていない議員が多数を占める民主党という、政治資金規正法上の政党の定義には当てはまるが、広辞苑などによる政党の定義には、全く当てはまらない組織の代表が、内閣総理大臣を務めている。
心が折れそうである。だが、天災により多くの方々が亡くなり、視察(特に上空からの視察。クリック後、第3段落目)好きの無責任内閣により、本来なら助かる方々まで、がれきの下で見捨てられた非常時の今、心を折る訳にはいかない。
神奈川県鎌倉市にて
佐藤 政則