【追記】は、クイズの後にwakhoさんよりコメントをいただきました解答と解説を入れました。
(クイズと言っても、私が答を知らないというクイズです😆)
アテネから始まった旅も10日経って、残り半分を過ぎました🍋🍋
アテネで、ギリシャ新喜劇の世界に入り込んだりしていたので、長く感じられますが、ざっとまとめると…
アテネ🇬🇷→ミコノス島🇬🇷→サントリーニ島🇬🇷→イスタンブール🇹🇷→カプリ島🇮🇹→アマルフィ海岸🇮🇹
過去記事はテーマ『地中海の旅』に載せています。
本日のアトラクションは、中世のアマルフィのアルセナーレ(造船所)跡を訪ねてみましょう⛵
では、中に入ります🚩
ここは、アルセナーレ(造船所)を改造してアマルフィ歴史博物館となりましたが、中世の面影がそのまま残っています。
この広大な歴史建造物アルセナーレは1059年に創建されました。
↓
幅5m 奥行き40m のドーム型の船台跡です。
ここで船台を作り、海まで押して行って、海の上で上の部分を作ったのでしょう。
1343年
嵐🌀と荒波🌊で海底が地滑りして、この船台の半分が失われたそうです
もっと遡ると…
アマルフィは、
810年ビザンツ帝国よりガレー船を20隻発注を受けた記録が残っています。
船の長さは、約40mなので、そんな頃から、造船で栄えていたのです。
※ビザンツ帝国=東ローマ帝国のこと。首都はコンスタンチノープル(現在イスタンブール)→アヤソフィアのあるところですね。
ガレー船とは、人が櫂(オール)で漕ぐ大型船のことです。
地中海で紀元前3000年〜紀元後18世紀まで、地中海を巡る戦いで使われてきました。
映画『ベンハー』やドラマ『オスマン帝国外伝👳』にも登場しています。
~参考資料~
・『海上交易の世界と歴史−FC2』
2.4.4中世イタリア,交易都市,十字軍と提携
・日本大百科全書
下の写真のペガサスは、船首に乗っていたのでしょうか?
地中海ブルーの波の上を風を切って走るペガサスは、
まるで空を飛んでいるように見えた事でしょう↓
クイズこの人は誰でしょう~?帰国後調べましたが、まだわかっていません🤔
↓
【追記】
と書きましたら…
↓
『リモーネ画像クイズ「この人だーれ?」
台座の下に名前が書いてありまっせ。PLAVIO GIOIRと読めました。菊蔵はんならヒントに名前出しまへんけど、アマルフィに行ったことない人のため、大ヒントや!
フラヴィオ・ジョイアはんは、中国で発明した羅針盤をアラビア人から買うてきて、携帯用に改良しはったアマルフィの技術者はんでっせ。
台座の下に名前が書いてありまっせ。PLAVIO GIOIRと読めました。菊蔵はんならヒントに名前出しまへんけど、アマルフィに行ったことない人のため、大ヒントや!
フラヴィオ・ジョイアはんは、中国で発明した羅針盤をアラビア人から買うてきて、携帯用に改良しはったアマルフィの技術者はんでっせ。
この携帯羅針盤は、方角のわからない砂漠を行く巡礼のイスラム教徒にとって必需品。
沿岸航行する船乗りより重宝したでしょう。
アマルフィの街には他にもジョイアはんの立派な銅像があるみたいでっせ。』
アマルフィの街には他にもジョイアはんの立派な銅像があるみたいでっせ。』
だそうです
なるほど~すっきりしました!
かず坊さん(wakhoさん)解説もおおきに〜
そして、次の写真は
ちょっと物置みたいなところもあって…
では、滞在は10 分ほどでしたが、歴史博物館を出て、広場に戻りましょう⛪⛲
そして、大通りを山に向かって歩きます。
海洋共和国時代を描いたタイル絵がありました。
ガレー船が何種類か見えますね
櫂(オール)がはっきりと描いてあります。
よく見ると海の神様🌊のポセイドンや人魚や謎の深海魚みたいなのもいますね↓
小川が道に沿って現れてくるので、そのまま一本道を紙の博物館に向かいます。
~次回予告は😄~
海洋共和国として栄えたアマルフィは、嵐により一旦壊滅状態になり、表舞台から姿を消しますが、次に製紙業で頭角を現してきます😉
□□□□□□
そんなお話と、中世のアマルフィと現在のアマルフィの町並みについてのお話です。
お楽しみに~🍋
~参考資料~
・『海上交易の世界と歴史−FC2』
2.4.4中世イタリア,交易都市,十字軍と提携
・日本大百科全書