今日は何を読むのやら?(雨彦の読み散らかしの記)

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ベストセラーになったこの本が発行されたのは2020年10月。

タイトルからして、いかにも難しそうな本、という印象があったが、読み始めてみると引き込まれ、一気に読んでしまっていた。

 

そもそも、「人新世(ひとしんせい、または、じんしんせい)」とは何か。

 

本書での解説によれば、

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(Anthropocene)」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

また、2023年7月12日の朝日新聞には、以下のような記事が出ている:

人類の爪痕残る「人新世」 

新たな地質年代 提案へ

 

46億年の地球の歴史の上で、人類の痕跡が残る時代を区分する--

こんな提案を地質学の専門家たちが国際学会の提案することを決めた。

12日未明に発表する。

現代は、新生代第四期の「完新世」(Holocene)と呼ばれ、1万1700年前から今に続いているとされているが、1950年頃からの時期以降は、人類が地球の地層に与える影響が急増している(世界中の地層でプルトニウムが見つかり、プラスティックやコンクリートなどの人工物が爆発的に増えている)ことから、「人新世」と呼ぶというのが、地質学者たちの提案らしい。

 

新たな地質時代として「人新世」が認められるかどうかはともかく、人類の活動が地球の環境に大きな影響を与えていることは間違いない。

 

「地球温暖化」という言葉を聞かない日はないが、人々はこの問題にずっと前から気づいていながらも、目も背け、真剣に向き合ってこなかった。

(民主党の元アメリカ副大統領アル・ゴアが出演する、地球温暖化についてのドキュメンタリー映画、「不都合な真実」が公開されたのは2006年。もう17年以上も前だ)。

 

解決方法・出口がない問題について話をするのは気分が暗くなるし、話題にもしたくない。

それでもやはり気になって、レジ袋の代わりにマイバッグを使ったり、プラスティックのストローを使うのをやめたりしてみるが、そんな小さな変化だけで地球の温暖化が止められるはずもない。

 

筆者は言う。

政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。

SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。

さらに踏み込んで、「SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である」とさえ言っている。

厳しい指摘だが、おそらくは真実をついているだろう。

 

社会に対して責任ある立場の大人たちは、重い問題を先送りし、負担を若い世代に負わせることへの後ろめたさを覚えつつ、もっともらしい「SDGs」という気休めで、現実から逃避している。

 

日頃うすうす感じていて、自分では口に出せなかったことを代わりにズバリと言ってくれている。

歯に衣着せないラディカルな物言いはむしろ小気味良いが、それにも増して、難しい問題から目を背けない率直さ、真摯に向き合う姿勢が、若い世代の共感を呼んだのではないだろうか。

 

では、問題解決のために、どうすればよいのか、

筆者の示す解決方法は、資本主義というシステムが求める経済成長至上主義からの脱却、「脱成長コミュニズム」というものだ。

そんなことが果たして可能なのだろうか。

 

筆者は「コミュニズム」という言葉を使っているが、伝統的な日本語に訳せば、共産主義。

暴力的な革命というイメージとは切り離せない、共産主義に対する人々の不信感やアレルギーは強い。

共産党政権下の中国でさえ、実際には「国家資本主義」の国である。

 

そして、資本主義というシステムはあまりにも強大だ。

資本主義はこれまでしぶとく崩壊の危機を生き延びてきた。

「資本主義が崩壊する前に、地球が人類の住めない場所になっているかもしれない」と筆者は言う。

 

人間社会のほぼ全体に広がっている資本主義の世界にまともに立ち向かって、勝ち目があるのか。

筆者が主張するような、成長を目標としない「コミュニズム」で、地球を救うことが実現できるのだろうか。

当然に、疑問や批判もあるだろう。

 

それでも、筆者は希望を語る。

ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。

まず3.5%が、今この瞬間から動き出すのが鍵である。その動きが、大きなうねりとなれば、資本の力は制限され、民主主義は刷新され、脱炭素社会も実現されるに違いない。

 

 

子どもたち、そして将来の世代にとって、この世界が持続可能な、希望のあるものであって欲しい。

ひょっとすると、将来の科学技術の発展によって地球温暖化を止められるかもしれない。

だが、他の誰かがやってくれるかもという期待にただすがっているより、少しでも状況を改善するために、自分たちが現実に何ができるかを考え、実行する方がいい。

 

簡単ではないが、まず知ること、そして考えること。

きっと、すべてはそこからしか始まらない。

 

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 


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著者は辺境ノンフィクションライター。

アフリカや東南アジアのローカルな言語も含め、25もの言語を学んできた経歴の持ち主だが、本人によれば、「語学の天才」とは遠くかけ離れているという。それが、「一億光年」の意味。

次々に新しい言語(マイナーな現地語も多い)の学習に飛び込んでいくというスタイルのせいで、一つの言語を極められなくなってしまったという。もともと、アフリカ・コンゴに、ムベンベという怪獣を探しに行くという冒険が、筆者の異国語学遍歴の始まりにあるが、未知の言語を学ぶ楽しさに魅せられてしまったというスタイルは、それ自体が冒険だ。

 

 

プロの先生がいないローカル言語の学習は、まさしく悪戦苦闘の連続。

ある意味はちゃめちゃだが、そうした体当たりの経験の中で、著者は言葉だけではなく、異文化で暮らす人々とのつながり方を理解していく。

 

ミャンマーの辺境の村では、人々は「こんにちは」「ありがとう」という言葉さえ使わない。

相手の名前を呼ぶ、相手に何かを贈ることで、事が足りるからだ。

大連で中国語を教えてくれていた先生は、筆者との仲が深まるにつれ、「謝謝」という言葉を筆者が使うと不機嫌になっていく。

親しい間柄では、感謝の言葉を使うこと自体を水臭いと思うからだ。

 

教科書にあっても、現地の人に使われない言葉がある。

また、教科書にはないけれど、現地の人によって使われる言葉がある。

それは、言葉とともに生きている人との直接の交流がなければ得られなかったもの。

AIの機械翻訳がいかに発達しようと まず到達はできない領域だろう。

 

知らない言語を学び、知る楽しさがある。

その一方で、外国語をヒアリングできない、理解できない苦しさもある。

 

それでも、自分が知らない言語を学ぼうとする理由は何か。

自分の国の言語では知ることのできない世界を知りたい、理解したい、そして、自分の世界を広げたいという願いがあるからだろう。

この本は、そうした言語への素朴な欲求と、言語を学ぶ愉しさを、あらためて教えてくれる一冊だった。

 

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この本には、筆者の比較言語学的な考察や、自らが編み出し、体得した外国語の学習法など、興味深いトピックが満載されています。

例えば、フランス語を教えた経験のないフランス人女性が話す、とりとめのない素のお喋りをテープに録音し、その文章をまるごと書き起こして本人にチェックしてもらう。

ネイティブが話す自然な言葉を学ぶには実に良い方法で、なるほどと思わされますが、そうした様々なアイデアが詰め込まれていて、外国語の学習方法を考えるヒントを与えてくれます。

 

また、若き時代の筆者が、自分の進むべき道に悩み、もがく姿には、共感を覚える人も少なくないのではないでしょうか。語学の冒険だけでなく、青春の書、でもあります。

 

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 


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少し前に読んだ「暇と退屈の倫理学」の著者である國分浩一郎氏が、その続編と位置付けているのが、この「目的への抵抗」というタイトルの新書本。

今回は、高校生や大学生たちに向けて行われた講義の記録で、内容も読みやすくなっている。

 

コロナ危機のためにオンラインで行われた2020年10月の講義と、2022年8月に大学で開催された講話の記録だが、参加した学生たちとの質疑応答もこの本には収められている。

若者との質問のやり取りでは、國分教授が講義で触れなかった論点が引き出されていて、対話ならではの面白さがある。

教授自身、「大学というところは本当にすばらしいところですよ」と言っているが、自由な意見の応酬がオープンに行われているところが刺激的だ。

 

本書では、主に二人の哲学者について、多くのページが割かれている。

 

一人は、コロナ危機の下、政府による厳しい行動制限に対して、疑問の声を上げたイタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンペン(1942~)。

 

もう一人は、ナチス・ドイツから亡命したユダヤ系の哲学者で、全体主義との戦いを生涯の課題としたハンナ・アーレント(1906~1975)。

 

二人に共通するのは、「政治によって個人の自由が奪われることへの危機感」だろう。

確かに、政治によって社会が適切に管理されなければ、治安の維持や経済の発展、社会福祉も難しくなる。

一方で、「正しい目的」の実現のためには、いかなる手段も正当化されてよいのか。

そして、もっと根の深い問題は、目的の達成のために、個人の自由が奪われることに、人々が鈍感となり、抵抗しようとしないことなのではないか。

 

「目的」と「手段」の関係を考え続けたアーレントは、

「目的が立てられてしまえば、人間はその目的による手段の正当化に至るほかはない」

という。

目的の実現のために効果的な手段を求めていけば、最後には「恐るべき結末」が訪れる。

そうした合理性の追求が、ナチスに代表される全体主義の起源でもある。

 

一方、アガンペンは、新型コロナ対策として政府が実施した移動制限、ロックダウンに対して問題提起を行った。

ウイルスに感染して亡くなった人が、葬儀もされないままに埋葬されていること、またそのことに教会が沈黙を守っていることに、アガンペンは強い疑問を抱いていた。

あたかも生存することのみが価値を持つ社会とは、いったい何なのか?

 

だが、ウイルス感染拡大防止策に対するアガンペンの批判は物議を醸し、ネットでも炎上した。

 

本書では、アガンペンの主張自体の是非というより、この哲学者が、なぜ自身の主張への批判や反発にひるむことなく、コロナ危機への政府や社会の対応に疑問の声を上げ続けなければならなかったかという点を、掘り下げ、考えようとする。

 

かつてソクラテスは、アテナイの若者たちをたぶらかし、邪教を信仰したという理由で裁判にかけられ、死刑にかけられてしまった。

ソクラテスは、

「馬に付いた虻(アブ)のように、社会をチクリと刺して目覚めさせる存在」、

それが哲学者の役割だと弁明したという。

(ソクラテス自身は著書を残さなかったので、弟子のプラトンが、師であるソクラテスの言葉として伝えている)

 

 

コロナ危機を巡るアガンペンの言動も、このソクラテスが残したという言葉に通じるものがある。

 

ただ國分氏は言う。

「哲学に限らず、誰かが「社会の虻」にならなければならない」

「アガンペンのような哲学者が知識人として社会に対して警鐘を鳴らすという意味だけではなくて、皆さんのような人たちが哲学を学び、ものを考えるなかで、チクリと刺したり、チクリと刺されたりということが起こって欲しいんです。」

もちろん、個人の小さな主張が社会を変えるということは殆ど期待できないかもしれない。

 

しかし、國分氏は、マハトマ・ガンジーの次の言葉を、いつも心に留めているという。

「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。

そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」

また、

「人が発した言葉がいつどのような効果を発するかは予想できないということも付け加えておきたいと思います」

とも言われている。

 

すぐに社会が変わらなくても、意見を表明したり、考えたり、話したりすることは必要であり、意味がある。

 

「私は今日、先生のお話を聞いて世の中捨てたもんじゃないと思いました」

という高校生の発言に、この哲学講義が若者の心に響いたことがよく表われていた。

 

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

・國分教授が2020年に行ったオンライン講義は、東大TVのYouTubeで視聴ができます。

(約3時間とやや長いですが、本には収録しきれなかった質疑応答も含め、幅広い問題に触れられています)

 

 

 


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前回は「限りある時間の使い方」という本を取り上げたが、今回は「暇と退屈」。

一見すると正反対のようだが、どちらも「時間」にかかわる話である。

 

題名を見て、

「「ひま」とか「退屈」とか、今の自分には関係がないかなぁ?」

と思ったものの、本を手に取ってみると、ドイツの思想家・ハイデッガーが大きくとりあげられているらしい。

ハイデッガーは、「限りある時間の使い方」の本の中でも、人と時間の関係について徹底的に考えた哲学者として紹介されていたので、そのつながりもあって読み始めた。

 

実は、「ひま」と「退屈」は、似ているが、同じ意味ではない。

 

「退屈」は、自分の心が満たされず、虚しさを感じている状態、と表現した方がいいかもしれない。

時間が思ったように流れないことで、「ひま」と「退屈」を同時に感じることはもちろんある。

その一方で、けっして「ひま」ではなく、時間に比べてやることは多いのに、心の中に空虚が広がって「退屈」してしまうことがある。

そうした人の心の状態を、真正面から捉え、哲学したところに、ハイデッガーの鋭さがあると、筆者は言っている。

 

そして、その「退屈」は、時間を持て余した人だけの問題と、軽く考えていてよいものでもない。

心の中に蓄積した「退屈」からの脱出を求めた人たちが、危険な思想や行動(ファシズムやテロリズムなど)に駆り立てられていくこともある。

 

それほど極端ではなくても、

「なぜか心が満たされない」

「自分の生き方はこのままでいいのか」

という悩みや、焦りを感じることはあるのではないだろうか。

 

 

そして人は、心の充実を求めて、本を読んだり、走ったり、何か新しいことにチャレンジしてみたりする。

それは、ゴルフや登山かもしれないし、語学や資格検定への挑戦かもしれない。

自分で望んで始めたことでも、苦しくなることもある。

それに、そんな挑戦をしても、収入が増えるとは限らないし、むしろ出費が増えるばかりだ。

そして、うまく思うような結果が出せずにイライラしたり、ストレスを感じたりもする。

安楽な日常生活の繰り返しの方が、むしろ平和な気分でいられたかもしれないのに、また「退屈」に逆戻りしてしまうかもと思うと、それもできない。

 

忙しい日々の中にあっても、満たされない思いを抱え込んでしまう厄介な自分の心と、どうすれば上手くやっていけるのか。

 

筆者自身も言っているように、「退屈」問題の解決方法は、「暇と退屈の倫理学」の結論部分だけを読んでみても手に入らない。

というより、「誰にでも当てはまるような「退屈の解決方法」はない」というのが本当のところなのだろう。

 

「なぜ自分の心が満たされないと感じるのか」

「どのような時間の使い方をすれば自分の心が満たされるのか」

について、自分でじっくり考えてみる以外に、この問題への対処法はない。

 

この本は、自分で考えるためのヒントを与えてくれるのではないだろうか。

 

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本書では、ハイデッガーだけでなく、パスカルやバートランド・ラッセルなど、多くの哲学者が取り上げられているが、思想家の考えをただ紹介するだけでなく、批判的な読み方が示されているところに面白さが感じられる本。

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

※当ブログ記事には、なのなのなさんのイラスト素材が イラストACを通じて提供されています。

 


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この本のタイトルを見ると、

「人生の時間に限りがあることなんてわかっている」

「時間をどう使うかは、それぞれの人が決めればいいことであって、どう使えばよいかを他人から教えてもらわなくても結構」

と、反発を感じてしまうかもしれない。

 

この本も世の中には溢れているHow To本の一つなのだろうと思ったが、本屋で立ち読みしているうちに、「少し違うかも」と思い直し、読んでみることにした。

(原文の英語も読みたくなり、久しぶりにペーパーバックも並行読み)。

 

原書のタイトルは Four Thousand Weeks – Time Management for Mortals

(4,000週間-不死でない人々のための時間管理)

 

4,000週間とは、標準的な人間の寿命。

平均寿命を80年と言われても何も感じないのに、1年=52週の80倍(4,160週間)と言い換えられると、「そんなに短いのか」と急に焦りを感じてしまう。

 

だが、これは、いかにすれば時間を効率的に使えるかというテクニックを教える本ではない。

むしろ、「時間をもっと効率的に使わないと」という心理が、その人をますます忙しくしてしまうという悪循環、「効率性の罠」(Efficiency Trap)こそが問題なのだと指摘する。

 

そういえば、電車の車内でふと目を上げると、誰もがスマホを触って何かをしている。

スマホの中にとても重要なことがあるというよりも、スマホで何かをしていなければ時間を無為に過ごしてしまうのではないか・・・私たちは、そんな焦燥感に日々追われて生きている気がする。

 

 

だが、インターネットで情報を集めれば集めるほど、SNSでメッセージを素早くやりとりするほど、自分が自由に使える時間は少しも増えず、逆にますます減っていくばかりだと、著者は指摘する。

 

では、どうすれば、この「時間」とうまくやっていけるのだろうか。

 

著者の挙げているアドバイスの一つは、時間が限られていたとしても、すべてのことを一度に片付けてしまおうとしないこと。

 

プロジェクトや仕事に関して言えば、

“Limit your work in progress”(仕掛り中の仕事を制限する)。

 

今取り組む仕事の数を3つまでと決めて、その3つをいったん選んだら、そのうちの一つが完了するまで(または、諦めて中止するまでは)、他の仕事に取り組まない。

あれもこれもと、どんどん仕事を増やし続けていれば、「限りある時間」という現実から目をそらすことはできても、最後には結局何も実現できないまま終わってしまうかも知れない。

 

タスクを一つずつ終わらせる、また、終わらせられないことがわかったタスクはあきらめて他のタスクと入れ替えることで、仕事は上手く進み始めるという。

 

実際には、自分が取り組む仕事を自由に選ぶことができない場合もあるだろうし、仕事の数の制限を決めることも難しいかもしれない。

大事なことは、いま自分が集中する目標をはっきり見定め、それを一つずつ達成していく、ということなのだろう。

 

この本は、確かに、時間管理の方法について説いた本である。

だが、時間を効率的に使う技術をコーチするノウハウ本との一番大きな違いは、人と時間との関係、そして人がより良く生きることに対する、著者の考察の深さではないかと思う。

 

古代ギリシャから現代まで、人と時間を巡って、様々な思想家の言葉が登場するが、スウェーデン出身の哲学者マーティン・ヘグルンドの言葉が紹介されている。彼は、家族や親戚と年に一度集まって過ごす夏休みについて語る:

「風の強いスウェーデンの海辺で大切な人たちと過ごす時間が特別なのは、それが永遠には続かないからだ。自分はいつまでも生きるわけではない。家族も親戚も同じだ。そこに集まる人たちとの結びつきもまた、一時的なものに過ぎない」

 

「もしも夏休みが何度でも無限にやってくるなら、そこに特別な価値はない。

無限に続かないからこそ、価値があるのだ」

 

 

人生が永遠に続くとしたら、その日々はきっと退屈で、輝きを失ってしまうだろう。

 

有限な時間だからこそ、その時間は人々に感動を与え、かけがえのないものとなる。

 

いくら焦ろうと、いつか終わりが来る人生で、そのかけがえのない時間をどのように過ごすのかは、それぞれの人が決めればよい。

 

時間の管理で大事なことは、自分が何を行い、何をしないかという取捨選択だ。

この本は、その選択、決定の仕方について考えるヒントを与えてくれる。

 

そして、心に留まったもう一つのメッセージ:

“What you do with your life doesn’t matter all that much – and when it comes to how you’re using your finite time, the universe absolutely could not care less.”

(あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ)

自分の存在を過大評価し、人生のハードルを上げるほど、目標は達成不可能となり、かえって空しさに苦しめられる。

宇宙に比べて、自分がちっぽけな存在だと思った時、気が楽になるということもある。

 

実現不能な目標を自分に課すことをやめたとき、限りある時間を有意義に使う方法や、これまでくだらないと思っていたことの価値に気づくことができる。

"Virtually any career might be a worthwhile way to spend a working life, if it makes things slightly better for those it serves."

(どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある)

「人生の時間」の問題に悩む現代人は、自分に助けになる言葉をこの本の中に見つけられるのではないだろうか。

 

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それにしても、「〇〇氏絶賛」という宣伝文句を見ると、その〇〇氏と自分の価値観が違うと思う人は、本を手に取らずに素通りしてしまうかもしれない。もう少し考えた方がいいのでは・・・?

 

と思っていたら、別バージョンの表紙の本もありました(笑)

 

 

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今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

※当ブログ記事には、くっけさんのイラスト素材が イラストACを通じて提供されています。

 


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