このところ、仏教のお経や、坐禅に興味が惹かれている。
以前、博物館で開催された寺宝展で購入したものの、そのまま「積読」になっていたこの本を開くと、本書の冒頭の章の結びに、次の言葉が出てくる。
仏教は、「仏教の知見を生かして生活するのに、仏教徒である必要はない」という稀有な面を持つ「宗教」です。
信仰心が薄い自分が、仏教の世界に首を突っ込んでいいものだろうかと思っていた時に、この言葉を見つけ、何よりの励ましを得た気持ちになった。
この本は、「仏教入門」というタイトル通り、各宗派で用いられている重要な経典が紹介され、それぞれの経典の特徴が、分かりやすく説明されている。
ひとくちに「お経」と言っても、長い年月の中で発展してきたその内容は多種多様だが、その中でも異彩を放つと言われるのが、維摩経。
あの聖徳太子が、特に重要とされたお経の一つとして伝わっている。
このお経の主役である維摩居士は、出家して修行をしているわけではない「在家者」なのだが、仏陀の有名な弟子たちを議論で打ち負かしてしまうという、ただものではない人物。
その維摩がある日、病気にかかってしまったという。
自分の代わりに見舞い行ってくれないかという仏陀の願いを受けて、菩薩たちの中でも、特に智慧にすぐれていることで名高い文殊菩薩が、面会に向かう。
二人の議論は、まさに賢者の頂上対決。
それまでは維摩を煙たがり、尻込みしていた菩薩たちも、文殊菩薩に付き従い、維摩のところへ向かう。
実は、この維摩居士という人の正体は、現実世界とは別の世界(仏国土)からやってきた人で、それが彼の超人ぶりの秘密でもあるらしいが、それはさておき。
「不二の法門に入るとはどのようなことか」と、維摩は文殊菩薩たち一行に問いかける。
「不二」とは、対立するように見える二つのものは、実は二つではなく、根本的には一つであるということ。
そして、「不二の法門に入る」とは、「対立して見えるものを一つのものだと発見することから仏法の門に入ること」だという。
(台湾・台南開元寺の不二法門。Wikimedia Commonsより)
維摩から投げかけられた問いかけに対して、
同行した菩薩たちは、「生と死」、「善と悪」、「我と無我」、「智と無智」などなど、さまざまな相反されるとされるものが実は一つのものに過ぎないと答えます。
それを受けた文殊菩薩は
「あらゆる現象は言葉では説明できません。諸々の問答を離れるところにあります。
それを不二法門に入ると言います」
という自らの見解を述べます。
(仏教入門・維摩経)
では、維摩自身は、この問いへの答えをどう考えているのか。
文殊菩薩が逆に維摩に尋ねると、いつもであれば菩薩たちをあっと驚かせるような言葉を発する維摩が、ただ押し黙ったまま答えない。
この部分の解説を、現代語訳 大乗仏教3「維摩経」(中村元)から引用すると;
他の人は、対立を離れたことが不二の法門であるとか、ことばで言い表せないことが不二の法門であるとか言って、じつはことばに出してしまったわけです。
ところが維摩はことばを発しないで、その身のうちにこの不二の法門を具現している。
ああ、これはすばらしいと思って、みんなが感嘆した、というところで、この章が終わっているのです。
釈徹宗氏の「維摩経 空と慈悲の物語」では:
この場面は、「維摩の一黙、雷の如し」などと呼ばれ、「維摩一黙」という熟語にもなっている、維摩経で最も有名なクライマックスのシーンです。
文殊菩薩は、言葉や思考や認識、問いや答え、そのすべてから離れてこそ不二の法門に入ることができると説きました。
つまり不二の法門とは煩悩即菩提のことであり、分別を越えた世界であり、維摩のあり方そのものとイコールなのです。
だから、維摩は自分自身の姿、存在を見せることで表現したのです。
このやりとりを見ていた五千人の菩薩たちは、維摩の姿に感銘を受け、全員が不二の法門に入って悟りの安らぎ(無生法忍)(※)を得たと、この章の最後には書かれています。
(※)
「無生」:生じることも滅することもない
「無生法忍」:一切のものは空であり、なにごとも生じたり、滅したりしないという真理を受け入れること (注釈より)
二つのものが対立するように見えるのは、人の心の働きにすぎない、そうした区別から離れることが大事なのだという思想は、「色即是空」・「空即是色」で有名な般若心経にもあらわされた、大乗仏教の根本思想の一つだという。
なにごとも区別し、対立させて考えることに慣れてしまった現代人にとって、理解するのはけっして容易なことではない。
そして、言葉によって言い表したり、理解したりできることにも、限界があるに違いない。
そうであっても、初めから言葉が無くしては、人は手がかりを得るすべもない。
超越した賢者ではない人間が、物事を正しく理解していくためには、やはり言葉を聞き、読み、考えることが必要なのだろう。
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今日もお読みいただき、ありがとうございました。
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