さて、前からの続きです。
この城も平城の上に山城があるんですね。
山ノ下、山ノ上で分けていたと思います。
なんせ両方ともになんじゃらの丸とか本丸とかあってややこしいので山ノ上本丸、山ノ下本丸のように分けています。
たぶん🤔…。
しかし山ノ上の城へ向かう道は急なうえにしょうもない整備はされていないので昔の道をそのまま登っていくことになります。
たぶん🤔。
登っても登ってもこのような道が続きます。
しかも途中に熊注意⚠️の看板があったりしますけど…
最後にこのルートで熊が目撃されたのは2年前だったと思います。
それよりも恐いのは
この看板のほうが
恐いわっ!🤣
上の四文字、めちゃくちゃ恐いわっ‼️
一人のときにこんな看板見たら
泣きながら降りるわ❗️
熊の看板とホラーな看板、
貴方はどちらが恐いですか?
もうすぐ頂上ですね。
この城は整備はよくされていますので
遠くからでも石垣がよく見えます。
山ノ下だけではなく、山ノ上にもびっしりと石垣が使われています。
いよいよ山ノ上本丸へ続く階段を登ります。
ありました❗️
この先に見えるのが最後の本丸です。
それとも此処が本丸で
これは天守台❓
すいません!私、古代史な人なので何も理解していません🤣
鳥取砂丘が見えます❗️
此処の殿様も鳥取砂丘を見ながら後詰めを待っていたのでしょうか❓
此処にきて友達も城に夢中になり過ぎて観光をしていないのに気がついたようです。
この先に木下藤吉郎が築いた城がありますが、今回は断念します。
時間的にも仕方のないことなので…
さて、下山しましょう。
ん?
こちらのルートに行けば何があるの?
ということで向かいますと…
えっ?
えっ?何かあるぞ❗️
友達が垂涎なものが見えるぞ〜⁉️
曲輪だ!
こんな広い曲輪が隠れていたのかっ⁉️
見える❗️
私にも見えるぞ❗️
わかりやすくするために一旦、通り過ぎて
下から眺めますと搦手口の石垣が❗️
下から虎口を見ると…
この辺りの曲輪に詳しい説明が無かったのでよくわからないのですが…
どうなってんの、これ?
友達と二人で考えた結果…
🟥ルート、🟦ルート、中央の石垣は登り石垣
という3つまで絞られました。
え?最初に何個の説が出たかですって?
最初から3説だとでもいうんですか❗️
とりあえず曲輪を登ります!
と、三ノ曲輪でした。
その上が二ノ曲輪でした。
はぁ?
どうなってるんだ?
私が最初に山ノ下の城から登って最初に遭遇した曲輪は三の曲輪を飛び越えてニノ曲輪だったってこと?
では山ノ下の城が落として攻めあがるといきなり二ノ曲輪なのか?
それとも姫路城みたいに敵が三ノ曲輪に攻め込むと、勢隠曲輪から出兵して桜橋を渡って敵の背後を突いたり、
三ノ曲輪を突破して三国堀おれのある曲輪まで貫き直進、もしくは百間廊下の方に攻め込むと三国堀奥にある隠し門から出兵して背後を突く仕掛けのように、
ニノ曲輪、本丸でぐずぐずしていると三ノ曲輪から出兵して敵の背後を突く仕組みなのでしょうか?
とりあえず無事に下山できました。
これはいろいろと調べた結果…
あぁ、調べたのは友達ですよ。
一応、名誉のために。
カラタチらしいです。
♪カラタチの花〜が咲いているー
のカラタチということでした。
天晴れ、友達、大手柄武将です。
ちなみにこの城に到着したのは09時14分
下山して駐車場に着いたのは13時30分過ぎ
楽しそうな本でしょう❓
まぁ、あえて言うなれば海外のことには興味無いので知らん❗️
日本のことは7割くらいは知っていましたが、
まぁ、都市伝説はわりかた新しいにも拘らず、内容が少し少しずつ違ったりしますが、
古くから脈々と伝えられてきたことなどは、私が聞いていた話とは違っていたりしました。
その中でも比較的新しい山梨県の諏訪神社にまつわる話は昔からの言い伝えもありますが、
文明開花の明治、鉄道が通ってからの恐怖伝説が今でも語り草になっています。
と言うか、今でも天下のJR様々が恐れて、
この神社に御神酒などを献上しています。
それでも私の聞いた話とは微妙に違ったりしていました。
ちなみに表紙の写真ですが、これは長崎にある大変に美しい島で、