刑賞は天下の刑賞なり。いずくんぞわたしの喜怒をもってこれを専らにするを得ん『十八史略』 | 日日是好日のブログ

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 刑賞は天下の刑賞なり。いずくんぞわたしの喜怒をもってこれを専らにするを得ん『十八史略』

 賞罰は公のものであり、たとい君主といえども感情によってこれを左右してはならない、というのである。宋王朝の創業者太祖は、ある人物が功績をあげたにもかかわらず、昇進させなかった。前まえからその男が嫌いだったからである。そのとき宰相の趙普が、このことばを述べて太祖の非をさとし、昇進を承認させたのであった。
 トップといえども、人に対する好き嫌いの感情が生じるのはやむを得ないが、この感情をいかに抑えるかが問題であろう。少なくとも、趙普のような部下の諌言を聞き入れるだけの度量は持ちたいものである。(丹羽 隼兵著「中国古典の名言」より)