一貴一賤、交情すなわち見わる(史記)
出世したり落ちぶれたりして、はじめて人情の真実がわかるものだ、というのである。漢代の翟公という人物、裁判官を罷免されたとたん客足がパッタリとだえて、門前にスズメ捕りの網を張ることができるほどだった。ところが、返り咲くとまたぞろ客たちが押しよせてきた。そこで翟公は、このことばを門に大書して、かれらを皮肉ったという。
盆暮れには山のように届いていた贈答品が、地位を退いたとたんにめっきり少なくなるのも同じである。たいていは、個人に対してではなく肩書きに敬意を表してのものなのだから、皮肉をいってもはじまらない。(丹羽 隼兵著「中国古典の名言」より)