一貴一賤、交情すなわち見わる(史記) | 日日是好日のブログ

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団塊世代、毎日が日曜日となり晴耕雨読の生活に入ったのを機に、学びは生涯現役でありたいと始めたもので、生活の一部を切り取っていきたい。

 一貴一賤、交情すなわち見わる(史記)

 出世したり落ちぶれたりして、はじめて人情の真実がわかるものだ、というのである。漢代の翟公という人物、裁判官を罷免されたとたん客足がパッタリとだえて、門前にスズメ捕りの網を張ることができるほどだった。ところが、返り咲くとまたぞろ客たちが押しよせてきた。そこで翟公は、このことばを門に大書して、かれらを皮肉ったという。
 盆暮れには山のように届いていた贈答品が、地位を退いたとたんにめっきり少なくなるのも同じである。たいていは、個人に対してではなく肩書きに敬意を表してのものなのだから、皮肉をいってもはじまらない。(丹羽 隼兵著「中国古典の名言」より)