「読書/社会/ブログ」と題したブログに2019年5月から記事を投稿してきた。
 それから約4年半が経過して、投稿した記事がどれくらいアクセスされているか調べてみた。以下のグラフは、2023年1年間に30回以上アクセスしていただいた記事一覧である。アクセスされたのは16本の記事である。うち9本は中央大学やその前身の英吉利法律学校、東京法学院に関する記事であった。

 ここでは、この16本の記事の概要をお知らせし、当ブログへのさらなるアクセスをお願いしたいと思う。

「読書/社会/ブログ」:2023年中に30回以上アクセスのあった記事

『闘う学友連』特別号:学費闘争勝利の記録(中央大学の学費値上げをめぐる紛争):史料紹介(投稿日:2023-03-07)
 この記事には100数十回のアクセスをいただいた。
 50数年前、中央大学の学費値上げ発表を発端とする学園紛争があった。紹介したのは、ある団体の「学費闘争勝利の記録」である。ここに掲げられた記録と『中央大学百年史』に記述された記録との対照をした。


中央大学紛争期の試験問題集から見えること(投稿日:2021-03-19)
 上で紹介した記事に次いで100数十回のアクセスをいただいた記事である。
 1968(昭和43)年から1972(昭和47)年までの5年分の法学部の卒業学年試験の試験問題を分析した記事である。
 試験が一部の学生による妨害で実施できない事態に、学校側が講じた対処のひとつであろう試験問題の複数作成を数字を挙げて実証しようとしたものである。

 以上2つの記事をご覧いただいた方のなかには実体験としてこの時代を生きた人もあろう。その方々がご覧になったのであれば、筆者にはうれしい限りである。
 そして、その方々に要望したい。史料、証言を中央大学史料委員会専門委員会に提供していただきたい。
 連絡先: 中央大学広報室大学史資料課
 連絡方法: url:大学史資料課   TEL:042-674-2132


中央大学馬術部 1959年10月の厩舎落成記念祝典パンフレットと馬術部の歴史(投稿日:2021-08-21)
 自前の厩舎を持つことができずにいた馬術部が、東京都練馬区所在の大学運動場の一角に念願の厩舎・馬場を得たときのパンフレットである。
 馬術部の歴史に関する資料や年史は刊行されていないようなので、『関東学生乗馬協会々報』第1輯などの資料も調べて年表形式で紹介した。


日本の富裕層の総金融資産に占める割合が上昇している 悪化する格差 所得の再分配の改善が必要だ(投稿日:2023-01-28)
 わかりにくいタイトルで今や反省している。正確には、「日本人の総金融資産額に占める富裕層の資産額の割合が上昇している」。
 たとえば、手元に1億円の現金を持つ富裕層は、円キャリー取引でどれほどのお金を得るだろうか?。円キャリー取引とは、円で借り入れをして高金利国の金融資産で運用し、運用益に加えて金利の利ざやを獲得しようとする取引である。円を米ドルに換え、高利回りで稼いだドルを円に換えるといったものだ。日本の低い金利と米国の高い金利の差をうまく利用したものだが、お金のない人には無関係だ。


アファーマティブ・アクションと東京工業大学の「女子枠」入試制度 : 池上彰氏のコラムを考える(投稿日:2023-08-03)
 東工大が実施する女子枠が、アファーマティブ・アクションであるとの主張に疑問を感じて書いたものである。
 そもそも差別の是正策としてアファーマティブ・アクションは生まれた。東工大への進学に女性差別が存在したのだろうか?。ジェンダーによる格差は存在しているかもしれない。日本社会に、女は文系、男は理系などという雰囲気があることは確かだ。それが差別であるとすれば、是正手段は入試制度ではないだろう。

 東京都立の高等学校入試で男女差別をやっとやめた。長年、合格者に占める割合を男優位にしてきた差別をやめるというものである。内申書と筆記試験の点数で、上位から機械的に合格者を発表することに改めたのである。これは、アファーマティブ・アクションでもなんでもない。差別の撤廃である。


中央大学の校歌/野球部応援歌のSPレコードから大学界の校歌レコードを探る(投稿日:2021-02-21)
 たまたま入手した校歌/応援歌を収録するおそらくは1930年頃のSPレコードから、その時代と、大学界に視野を広げて考えてみたものである。
 高等教育進学者の増加とレコードの普及のなかで、各大学が校歌など、大学を象徴する「音」を盛んにレコードとして発信していたことを国立国会図書館所蔵の音源をもとに探った。


中央大学法学部昭和17年卒業アルバムから戦時を考える(投稿日:2022-12-02)
 とつぜんの繰り上げ卒業のあった1941(昭和16)年、その翌年の繰上げ卒業生のアルバムを紹介した。
 時代に身を任せる雰囲気が伝わってくる、なんとも悲愴な卒業アルバムである。


小林和幸編『東京10大学の150年史』(筑摩叢書、2023年1月)について 内容編(投稿日:2023-04-25)
 東京を本拠とする創立150年程度の大学を取り上げているということで興味を持って読んだ。
 不満足だ。
 その理由は、(1)150年を超える、あるいは、150年に至らんとする大学はほかにも存在するにもかかわらず取り上げていないこと(その理由にこの本は触れていない)、(2)各大学の記述点に差が大きいことの2つである。その責はもっぱら編集者に帰すべきであろうが。
 1点目は、たとえば、国学院大学、一橋大学はこの10大学に入っていない。誰しも疑問に感じることだろう。ましてや関係者は幻滅することであろう。
 2点目は、記述の物差しを合わせていないことである。序文には、「」????

 また、この本を以下の4つの切り口で読んだ。(1)草創期、(2)戦争と大学、(3)学園紛争、(4)女子教育。いずれも100年を超える大学が経験したことである。総体として、正面からの記述はなかった。少ないながらも、戦争と大学については東京大学が触れていることが評価できる。戦争とは異なるが、筑波大学にいたる経緯と課題は興味深く読んだ。


中央大学犯罪科学研究会の機関誌『犯罪科学』創刊号(1949年11月15日発行)の紹介(投稿日:2021-04-30)
 国立国会図書館や中央大学図書館に所蔵がなく、神奈川大学図書館にしか所蔵しない雑誌の創刊号。
 2004年1月現在、中央大学サイトのスポーツ・文化活動の部会活動ページに犯罪科学研究会の名前はなく、中央大学図書館の『犯罪科学』の所蔵状況は第22号(2000年10月)が最後で以降の所蔵はない。すでに廃部したのかもしれない。

 収録されている研究論文「証言信憑力の研究」、「法医学とその適用について」をみると、犯罪捜査への科学の応用という視点が伺われる。 


『関東学生乗馬協会々誌』第1輯にみる学生馬術の草創期(投稿日:2021-08-18)
 同協会の機関誌で200ページを超えるものだ。1935(昭和10)年に初めて発行した機関誌である。創立以来の歴史をまとめた協会史の一面も持っている。協会史に焦点をあてて紹介した。発行当時、大学、専門学校を中心に49団体が加盟している。


NHK「クラシックの迷宮」(2023年1月7日放送) なぜ軍歌を流すのか?(投稿日:2023-01-07)
 心地よい時間を提供してもらえる番組としてほとんど毎回聴いている。だが、軍歌を取り上げるという姿勢には疑問を持った。
 この回のテーマは「日本のマーチ」であった。いくつかのマーチを紹介するなかに「軍艦行進曲」、「分列行進曲」の2曲が取り上げられていた。これらのマーチは、大日本帝国の象徴であり、日本のアジア侵略の象徴にもなった。


ガソリン補助金の廃止を訴える とくに温暖化ガス排出量がトップの自家用乗用車への「優遇」をやめよ(投稿日:2023-08-18)
 2023年7月、国連のグテーレス事務総長は「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰の時代が来た」と語った。
 日本の市民ができることは、自家用車の使用を極力避けることにもある。これに逆行する「ガソリン補助金」に反対する私は数字を挙げて反対論を展開した。
 この記事を書いている現在も日本政府は補助金を出し続けている。さらに、トリガー条項(ガソリン税のおよそ半分をガソリン価格が高騰したときには一時的に免除)を発動することすら考えている。恐ろしいことだ。


小林和幸編『東京10大学の150年史』(筑摩叢書、2023年1月)について 外形編(投稿日:2023-02-03)
 すでに紹介した「内容編」をご覧ください。


「講義録」から「教科書」へ -東京法学院講義録『條件論』(岡野敬次郎)を題材に-(投稿日:2023-03-31)
 岡野が留学中に講義をしたと誤解するような講義録に出会ったことをきっかけに調べたものである。実況中継としての講義録が、教科書へと変遷してゆく端緒として理解した。
 続編「「講義録」から「教科書」へ -その後の教科書出版-」もご覧いただきたい。


1941年8月結成の「報国隊」 アジア太平洋戦争を考える一助として(投稿日:2021-08-05)
 1941(昭和16)年、全国の学校・大学は文字どおり国に報いるという「報国隊」を編成するよう国家から指示された。
 「第二小隊 中央大学報国隊 特設防護団員」と白色生地に染められた腕章を入手したことから、中央大学や他の大学の当時を調べた。


英吉利法律学校修了証の不思議(投稿日:2020-11-25)
 修了証は、学生にとってやり遂げた証であろう。取り上げた修了証は1886(明治19)年、1887(明治20)年の修了証である。
 ひとつは、1年級修了証(1886年7月17日)、もうひとつは2年級修了証(1887年10月10日)である。同一人物が受け取った2年分のものである。

 この記事ではおもに意匠に注目した。修了証や卒業証書は形式が重視されてきた。現代ではそっけないものが多いが、100年以上前には意匠にこだわった。意匠には物理的な大きさ、レイアウト、記載事項などがある。