2023年7月31日、日本経済新聞に「池上彰の大岡山通信 米論争に揺れる大学教育の多様性」が掲載された。
「池上彰の大岡山通信 米論争に揺れる大学教育の多様性」から引用
 * 図は「池上彰の大岡山通信 米論争に揺れる大学教育の多様性」から引用。

 このコラムは、アファーマティブ・アクションと東工大の「女子枠」入試を絡めて論じているが、ためにする議論の感をいなめない。

 コラムは冒頭で、先日(6月29日)、米国連邦最高裁判所が、ハーバード大、ノースカロライナ大の入学選考におけるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)を違憲としたことを取り上げている。長年続いている黒人差別によって、充分な教育を受けられず、報酬の高い職業に就くことを疎外してきた。それを是正するためにアファーマティブ・アクション措置が採用されてきたと述べている。

 そして、氏は、「入学試験の成績だけで合否を判断していると、キャンパスは白人とアジア系ばかりになってしまい、ダイバーシティー(多様性)が確保できなくなってしまう。これが多くの大学の思いで、アファーマティブ・アクションは学内の多様性を確保する役割も果たしてきました
 多様性があってこそ教育や研究の場面で生産的な取り組みが行われる可能性が高くなるというわけです。米国の知的分野での生産性の高さを見るにつけ、多様性の確保が大事であることがわかります。」としている。

 そして、コラムの最後は、「東京工業大学が来年4月入学の学士課程入試から順次「女子枠」を導入することを決めたことについて、さまざまな議論が巻き起こっているからです」と述べ、「「女子枠を設定したら、入れるはずの男子学生が入れなくなる」という不満の声も出ています。多くの人が納得できる多様性確保の方法はどうあるべきか。これは東工大だけの課題ではないはずです」と結んでいる。


 池上氏は6か月前、日本経済新聞紙(2023年1月23日)で、「米司法が揺らす「学ぶ権利」 大学の多様性を考える」というコラムを掲載している。
 出だしは次のとおり。「東京工業大学は2024年度入学生から女子枠を設定する方針を発表しました。24年度と25年度の2年かけて計143人の女子枠を設けるというものです。これまでは女子学生の比率が極めて低いため、多様性を高めるための取り組みです」。
 このコラムは、「米連邦最高裁で審理」、「保守派とリベラル派が対立」の2つで構成されている。上記のハーバード大、ノースカロライナ大の入学選考におけるアファーマティブ・アクションが争われた訴訟に関する内容である。引用した冒頭の文章以外に東工大に触れた部分はない。


 池上彰氏の2つのコラムを読んで、「ためにする議論」感を拭えない。
 氏は2023年度現在、東京工業大学特命教授である。2つのコラムがいずれも、東工大の2024年度から順次拡大するの女子入学枠(注1)を肯定的、あるいは、多様性の要請のなかでの必然という雰囲気を醸成するためのものと読めるのである。
 米国のアファーマティブ・アクションと東工大の女子枠を対比する、同じ俎上の載せるという姿勢が疑問である。

  注1: 東京工業大学のウェブサイトには、「東京工業大学が総合型・学校推薦型選抜で143人の「女子枠」を導入 : ダイバーシティ&インクルージョンの推進を目指して2024年度入試から順次実施」(公開日:2022年11月10日)(2023年8月1日閲覧)が掲載されている。
 「この取り組み[女子枠:引用者注]と一般選抜などでの合格者を合わせ、全ての学院で女子学生比率が20%を超える見込みです。これに加え、あらゆる学生が充実した大学生活を過ごすための施策を同時に行うことでさらに比率の改善が進み、自律的に偏りが改善していくことを目指します。その結果、多様な個性を持つ人々が対話し教育・研究の現場で新たな考えや発想を生みだし、さまざまな社会課題を解決に導くD&Iを実現します。」ある。
 また、学長の益一哉氏による文章があり、「東京工業大学はダイバーシティ&インクルージョン(D&I)を力強く推進してきており、本学ではさまざまなスキルや異なった価値観・経験、幅広い知見を持つ学生や教職員が活躍しています。
 このD&Iをさらに強く推し進める力は何かと試行錯誤する中で、理工系バックグラウンドを持つ女性が企業において求められている状況を目の当たりにし、女子学生を増やすための入試制度である「女子枠」を導入することで、女性が社会で活躍するD&Iの推進に貢献できるという考えに至りました。」としている。


 米国のアファーマティブ・アクションは、教育分野ばかりでなく、雇用など直接経済的な側面も含んでいる。そもそも、なぜ、黒人(African American)、ヒスパニック(Hispanic American)、アメリカ先住民(Native American)がアファーマティブ・アクションの対象なのかについて、その歴史的背景や経緯について氏の解説は不充分だ。たしかに、2つ目のコラムに「米国には奴隷制度の長い歴史があります。奴隷制度は表向きにはなくなったとはいえ、現実には貧困や差別から十分な教育を受けられない若者が大勢います。これらの学生と、恵まれた家庭環境で十分に勉学を積んできた生徒を同じ基準で選抜していいのか、という問題意識から、この制度ができました」とあるが、読者は、この記述から黒人を想起してもそれ以外は思い起こさないであろう。

 米国のアファーマティブ・アクションは、おおきくは、人種、性に関わるものだ。歴史的にみれば、差別とつながっている。だから、日本語では「積極的差別是正措置」、あるいは、「積極的格差是正措置」といわれている。多様性が目的ではなかった。

 アファーマティブ・アクションは、1960年代に始まったとされ、そこではマイノリティの「優遇」を含意するものであり、「補償的措置」であったとする分析もある(注2)。

  注2: 「アメリカのアファーマティブ・アクション政策は、1965年ジョンソン大統領命令11246 にはじまると考えるのが一般的である。特に1970年代以降のアファーマティブ・アクションは「積極的差別是正」のためのマイノリティ優遇を含意するのであり、アファーマティブ・アクション政策をめぐっての賛否の議論は「優遇」の是非に関するものであった。これは、ジョンソン大統領が1964年公民権法だけでは、これまで差別されてきた人々の平等を保障するには不十分であるとの観点から、「補償的措置」としてアファーマティブ・アクションの実施を政府や雇用者に求めたことに由来している。」(安井倫子「アファーマティブ・アクション史ノート : : 歴史に現れた三つのアファーマティブ・アクション」(『パブリック・ヒストリー』第7号、2010年2月))


 近年、アファーマティブ・アクションで多様性がいわれるのは、次のような理由との分析もある。以下では吉岡宏祐(徳島大学准教授)氏の論文から引用する。氏は、アファーマティブ・アクションについていくつもの研究業績がある。
 テキサス・フロリダ・カリフォルニア各州がアファーマティブ・アクション廃止(1996年から2000年)後の状況について、「それは、 A.A.[アファーマティブ・アクションのこと:引用者注]が廃止されても尚、むしろ廃止されたからこそ、大学内における人種的多様性を保つという認識であった。この多様性が推進される際の根拠は一枚岩ではなく、そこには幾つかの利点があった。その一つが、 「学習にとっての利点」であった。これは、大学における人種・民族的多様性は全学生にとっての教育的環境を高める結果、これらの学生には思考過程への積極的関与・自発性の発達・知的学問的技能の増加が見られるという利点であった。しかし、これとは別に、経済界が掲げる多様性に関する利点もあった。それは、企業が内部に多様な人材を抱えることが競争力の強化につながるとする経済的利点であった。この利点は、「コーポレイト多文化主義」の概念と親和性を持っていた。すなわち、グローバル化が進展する社会において、新たな市場の開拓のため、また、企業の「販売戦略」の一つとして差異への要請が高まり、その要望に応えるかたちで高等教育機関が多様な学生を社会に送り出すということが求められたのであった。このように多様性理論とは教育的利点と経済的利点とが表裏一体となった概念であり、この多様性を確保することが各州の大学における方策導入の契機となったのであった。」(吉岡宏祐「現代アメリカ合衆国におけるアファーマティブ ・アクション論争 -高等教育機関における 「多様性」の確保をめぐって-」(博士学位論文の要旨;2010年)。

 以上、池上氏のコラム2つと、アファーティブ・アクションに関する研究者の分析を紹介した。

 私は、アファーティブ・アクションは、歴史的な差別を補償する側面を含んで、雇用や入学者選考で人種を基準に優遇してきた(結果として優遇されない者を生む)ことが、アメリカ社会を構成する人々にどのように支持され、支持されてこなかったかを検証したうえで評価すべきものと考える。事実、すでに述べたように20世紀末から21世紀にかけてテキサス・フロリダ・カリフォルニア各州(ほかにワシントン、ミシガン、ネブラスカの3州も)がアファーマティブ・アクションを廃止している現実も把握しておく必要がある。

 池上氏は、東工大の女子枠採用に関わって巻き起こるかもしれない賛否論争に、米国のアファーマティブ・アクションの一面を切り取って紹介することで、あらかじめ防衛線を敷く意図なのではないかと疑うのである。

 高等教育と女子というテーマで書くならば、日本社会での女子教育や100年を超えるような歴史を持つ元々は男子校で女子に門戸開放した大学を歴史のなかに位置付けて書くのが王道ではないかと考える。それには触れずに米国の歴史に基づくアファーティブ・アクションと日本の女子教育を結び付けるのはいただけない。
 高等教育に関わることでは、東京大学が2022-2027年度までの6年間で新たに女性の教員約300人(教授141人、准教授165人)を採用する計画が報道された(2022年11月)。東大は、非常勤講師を含めた全体で約5千人いる教員のうち25%を女性とする計画とのことである。このような施策も、東工大の女子枠と無関係ではないだろう。
UTokyo 男女+協働改革 #WeChange始動
図は、東京大学サイトの「UTokyo 男女+協働改革 #WeChange始動」から引用。