昨年買った本…
体のことばかり(^^;;
右の「究極の疲れないカラダ」は、
お正月にお義父さんに借りた本
肺炎が嫌なわけじゃないけど、
喉って鍛えられるんだぁ?と思って手が伸びた。
でもたぶん鍛えるということはしない( ̄∇ ̄)
自然に任せる。
体幹リセットは、
子供を産んでからわたしの体幹どこへ行ったのかまったく体感できないので、
思い出したいと思った。
昨年末、
ずっと気になっていた“アレクサンダーテクニーク”を受けることができた。
アレクサンダーさんは舞台役者で、
声が出なくなってしまって大好きな舞台に立てなくなり、
今、自分に起こっていることを観察するようになる。
声を出そう、とするとき、
出そう、と思ったとき、
すでに首にとても力が入っていることに気づく。
よし!やろう!と思ったとき、
もうすでに力が入っている。
力の入った首で喉を締めつけて声を出してしまう。
そうするとすぐに喉は潰れちゃうかもね。
ただ、
セリフを言ったり歌ったりというのは、
感情があるから、
怒りの中で叫ぶなんてときは、
ギューギューに首に力を入れて締めつけて振り絞るように歌ったりもするなぁと思う。
しかたないと言えばしかたがないなぁ。
この一年半、
体に力が入らないわたしは、
わずかな力を振り絞るしかなかった。
力を抜くというのは、
元々力があるから抜けるのであって、
力が無さすぎると抜くこともできない、
そう感じていた。
結局振り絞るしかなかったようだ。
アレクサンダーテクニークを受けた帰り道、
今の力のないわたしの体にゆだねるように息を通してみた。
そうしたらこんな歌が出てきた。
………………………………
なんにもいらない
そこにただあるように
ながれるよう
おもうこともない
いつかみた夢のよう
ながめるよう
…………………………
力のない、今のわたしの体で、
無い力のまま、鳴らない喉に身を任せるようなメロディになった。
これが素直な音なのかもしれない。
講師の水野まきこさんが、
「声が出ない、今のイクノフの歌、貴重だね^_^
聴いてみたい^_^」と言った。
その場に一緒だった、画家のRちゃんもニコッと頷いてくれた。
なんだか一気に力が抜けたようだった。
(ということはやはり力が入っていたわけか(^^;;)
出産前と比べてしまって、
あれもできない、これもできない、
ないないない、となってしまっていることに自分でも気づいていた。
まったく声が出なくなったわけではない。
今の声がある。
歌おう、とか、
しなくてもいいんだ。
ただあるように…
ながれるように…
それさえも、しなくていいんだ。
しなくていいとかも、思わなくていいんだ。
てことは、してもいいんだ。
^_^