杏が主演であるが、劇場で予告編も流れず、サイトの内容紹介を見ても今一つな感じがしていたのでそれほど期待しないで観に行ったが、かなりまとまった映画であった。

 

絵本作家の里谷千紗子(杏)は、実家に帰っていた。

実の父(奥田瑛二)が認知症になり、要介護認定などの手続きが必要だったためだ。

実家と言っても、母の死後に父が移り住んだ家だった。

地元ではあったが、かなり山の上に引っ越していたため周囲に民家はなく、父は農作物を作り、母のために仏像を木で彫ったり粘土で作ったりしていた。

そして父は、千紗子の事がわからず、面倒を見に来てくれた他人だと思い込んでいる。

千紗子が頼りにできるのは、父の幼馴染で主治医の亀田(酒向芳)と旧友の久江(佐津川愛美)だけだった。

 

ある日千紗子は久江と街で飲んでいたのだが、頼んでいた運転代行がなかなか来ない。

シングルマザーの久江はすぐに帰らなければならなかったので、運転代行を待たずに運転して帰ることになった。

しかしその途中、少年をはねてしまった。

久江は公務員で、飲酒運転がバレればクビになってしまう。

救急車を呼ぼうとする千紗子を久江は懇願して制止し、二人で少年を千紗子の家に運び込んだ。

少年の手当てをしていると、少年の足には縄が結び付けられている事に気づく。

しかも全身には、明らかに自動車事故でできたものとは異なる痣があった。

 

翌朝、少年は目を覚ますが記憶がなかった。

そして久江から連絡を受けて千紗子がテレビとつけると、近隣の川に架かる橋からバンジージャンプをして行方不明になった少年のニュースが流れていた。

久江は、少年には自分の事故で付いた傷はほとんどないようだし、警察が捜索をしているのだから届け出た方がいいと言うが、少年が虐待を受けていたことを疑った千紗子は、絶対に久江には迷惑を掛けないからと言って、少年を匿う事にした。

千紗子には男の子がいたが、海で目を離したすきに溺死していた過去があった。

その事で離婚もしていたのだが、千紗子は死んだ子供と記憶喪失の少年を重ね合わせていた。

 

飲酒運転を隠すことから始まり、千紗子が少年を匿う理由に無理がない。

少年の両親はまだ捜索中なのに東京に戻っており、千紗子はさらに虐待の疑いを強め、久江に頼んで両親の住所を教えてもらう。

そして身分を隠して訪問し、少年が虐待されていたと確信する。

この展開に説得力がありスムーズだ。

父と仲違いしていた理由も無理がない。

ただその奥田瑛二演じる父が、やや強調されすぎだったかな、という気もする。

この父は、押し殺した形で登場させる方が全体として引き締まったと思うが、奥田瑛二が演じているだけにかなり存在感が強くなっていた。

それはもちろん奥田瑛二の責任ではなく、もっと弱々しい人をキャスティングした方がよかったのではないかと思う。

 

人には言えない状態で子供を護りたい、という設定は「八日目の蝉」に近い物を感じた。

一緒に暮らした期間は短くとも、千紗子と少年の強い絆を感じる作品だった。

 

 

79.かくしごと



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人づきあいが苦手な作家と多感期な女子高生と言う、なかなか面白そうな設定だが、やや詰めの甘さが目立つ作品だった。

 

高代槙生(こうだいまきお/新垣結衣)はライトノベルの人気作家だ。

ある日姉夫婦が事故で亡くなり、残された姪の朝(早瀬憩)を引き取ることになる。

槙生は姉と仲が悪く、大人になってからはほとんど連絡を取っていなかったため、朝ともほぼ初対面である。

しかも槙生は、人づきあいが苦手だった。

朝は多感期で、事故の直後に中学の卒業式があったが、学校には両親が亡くなったことを知らせていなかった。

クラスメートに変に同情されたくなかったので、誰にも告げずに卒業式に参加するつもりだった。

しかし唯一事故の事を知らせた親友のえみりが母親に話してしまい、そこから学校に伝わってしまう。

登校してその事を知った朝は、ショックを受け卒業式に出ず学校を飛び出してしまう。

帰宅後に槙生から説得され、えみりとは仲直りをした。

その後朝は高校に入学し、槙生とも少しずつ分かり合えるようになるが、朝は槙生が母を毛嫌いしていることが気になった。

朝は母が大好きだったので、槙生にも母を好きになってもらいたいのだが、槙生はこの件に関しては頑固として拒否を続けた。

 

槙生と朝の距離感を描いた作品だが、この距離感が絶妙に表現されている。

槙生の不器用な生き方と朝の高校生っぷりが、観ていて心地いい。

ただ、ここそこで説明が不足している部分が多い。

朝がなぜ、両親が事故死したことを中学に知らせなかったのかが、最初はわからない。

槙生の母、朝の祖母もいるのだから、普通なら祖母が学校に連絡しそうなもので、それをしていないのは朝の意思によるものだと思われる。

しかしその理由は描かれていない。

後から、おそらく多感な時期だからだろうと、なんとなくわかるが、理由としてはやや弱く、映画がスタートした直後でキャラがよくわからなかったこともあり、観ていてモヤモヤした。

その他にも、朝が同級生から「大人だね」と言われた後、朝が一人だけになり「あれ?」と言う。

朝が無理して大人ぶる事に違和感を感じたシーンで、いいシーンだと思うのだが、その後を受けるエピソードがなかった。

また、後見人の弁護士として染谷将太も出演しているが、作品全体にはあまり必要性を感じなかった。

おそらく原作では、もっと重要なキャラだったのではないかと思う。

 

朝役の早瀬憩の演技は、正直まだ子役の域を抜け出ていない。

ただ、なんとも言えないオーラを感じた。

おそらく、周りの役者も彼女の演技に引っ張られた部分があったのではないかと思う。

この作品を境に大きく飛躍しそうな感じがする。

 

いい作品だとは思うが、あと少し作りこむだけでもっと評価の高い作品になったのではないかと思った。

 

 

78.違国日記



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2024年のアカデミー賞で、「オッペンハイマー」とともにノミネートされて話題となった作品だ。

かなり期待して観に行ったが、正直想像とは異なった作品になっていた。

 

ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツ強制収容所の所長で、家族とともに収容所の隣で暮らしていた。

収容所では凄惨な処刑が毎日行われていたが、一家にとっては過ごしやすい環境だった。

家事は使用人が行い、休みの日には家族で近くの川に泳ぎに行き、ルドルフの誕生日にはボートをプレゼントして祝った。

妻のヘートヴィヒは、ルドルフがユダヤ人から取り上げた毛皮や口紅を抵抗なく使用し、収容所から出る灰で草花を育てていた。

子供たちも、収容所からの銃声などは聞こえていたが、それは日常であり気に留めていなかった。

収容所から聞こえてくる人の叫び声に、「次はヘマをするなよ」と独り言で答えていた。

 

ルドルフは、収容所の効率的な死体焼却施設の提案を受ける。

二つの焼却窯を交互に動かし、これまでの倍のスピードで死体を焼却できるというのだ。

やがてルドルフは、焼却施設の功績もあり昇格して収容所を離れる事になる。

しかし今の生活に大満足のヘートヴィヒは、アウシュヴィッツを離れることに反対で、半ば強制的にルドルフに単身赴任を勧める。

 

ルドルフ夫妻は実在の人物のようだ。

原作者は当時の関係者にかなり取材をしたそうなので、事実にかなり近い内容なのだろう。

未来まで語り継がれると思われるナチスの残虐行為に隣接しながら、戦時中とは思えない日常を送っていた家族がいた事は、驚くべきことである。

 

だが、個人的には映画としては、ちょっと捻りすぎたと思う。

収容所内の状況を映像では出さず、音声だけで想像させると言う演出は非常にいいと思う。

しかしリアリティを強めるためだと思うが、映画全体にBGMはなく、各エピソードもカット割りが少なめで、まるでドキュメンタリーのような演出にしていた。

だがこの演出のため、各シーンがかなり間延びしてしまった。

イマドキはドキュメンタリーでもBGMを入れ、テンポをよくするための編集をしている。

これらを排除したため、逆にリアリティが損なわれているように思えた。

少々ネタバレになるが、ラストの現在との比較もちょっとわかりづらかった。

 

映画を観る前後でネットで、「知らなかったアウシュヴィッツの凄惨な事実を教えてくれた」とか「我々も無関心という意味ではヘス一家と同じだ」的な、薄っぺらいセリフをここそこで見かけた。

だがそれはすでにスピルバーグが「シンドラーのリスト」で作り上げている。

30年前に「シンドラーのリスト」を観たとき、こんな事が実際に行われていたのかと衝撃を受けた。

そして鑑賞中は、映画だから多少「盛った」演出をしているのだろうと思ったのだが、ラストシーンで劇中のキャラクターが全員実在の人物だとわかり、自分が何もわかっていなかったことを思い知らされた。

 

この映画はある意味「シンドラーのリスト」と裏表である。

この作品単体としては、個人的にはあまり評価はできないが、二つの作品を合わせてこそ、本当に歴史を語る作品として評価されるのではないかと思う。

 

 

77.関心領域



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