松本城巡り-(大天守) | かっちゃんのブログ

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2024年01月02日(火)

 

 

私は、神社・寺院などは興味があり、今まで頻繁に訪れていましたが、お城には、近くに行っても全く興味が無く、一度も城内に入った事がありませんでした。

しかし、今回はお城に歩いて行けるホテルに宿泊したので、『せっかくだから!』という事で、人生初めて中に入ってみました。

 

「松本城」は、長野県松本市にある日本の城。

松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。

天守は安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された現存天守の一つとして国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。

天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、犬山城、彦根城、松江城)。

※ウィキペディアよりお借りしました。

 

ちなみに、松本城の別名は「烏城(からすじょう)」!と、思っていましたが、調べてみると

松本城は、外壁面上の板に塗られた黒漆の色から「黒い城」=「烏城」と呼ぶ人がいますが、文献上で「烏城」と呼ばれていた記述は、見つかっていないようです。

「姫路城は、白鷺城」、「彦根城は、金亀城」と別名を持つ城もあります。

そのため、松本城管理事務所の公式見解では、「松本城の別名は烏城ではない!」そうです。

 

松本城の内堀の深さは、深いと思っていましたが

 

目測で、50㎝くらいしかないなぁ~と思っていましたが、

調べてみると、近年、堆積物によって、水深が浅くなり、堀が埋まりつつあり、降水量の少ない時期に、土砂を除去する土木工事を行っているそうです。

本来、堀の水深は、深い場所では、3m以上あるそうです。

 

「黒門 二の門」

9:45 開門は、10:00です。

外国人・日本人の比率は、2:8くらいかなぁ~。

天守の観覧は、700円です。

 

「黒門 一の門」

 

左下にある大きなパネルは、本日、高校生が書いたものです。

 

 

そこで、カメラ

 

「太鼓門」

太鼓門枡形の一の門をいいます。

江戸時代は倉庫として使用されていたそうです。

明治初期に破却されましたが、平成11年に太鼓門が復元されました。

 

おめでたいです。

 

外国人旅行者のバックは、何処に預けるのだろうか?

まさか、天守まで一緒に登るのか?

 

左から「月見櫓」「辰巳附櫓」「大天守」「渡櫓」「乾小天守」

 

「月見櫓」

 

入口に入り、靴を持って移動し、階段を上って行きます。

しかし、これらの階段は、幅が狭く、急勾配で大変でした。

 

上から見たところですが、写真を撮っていたら、危険だから止めて!と怒られました。

 

「大天守 一階」

「石落」は、石垣を登る敵兵に石を落としたり、熱湯等をかけたり、「鉄砲狭間」は、戦国末期は、ここから火縄銃を撃ったりした天守を守る装置。

 

 

 

「大天守二階」

火縄銃を主とした「松本城鉄砲蔵」の展示があります。

 

 

「甲冑」

刀を差した甲冑に、玉込め用のカルカを背中につけ、腰には玉を入れ、肩から点火薬を下げています。

火縄銃を装備すると、20Kg弱の重量だそうです。

 

 

「大天守四階(上り方面)」

 

「大天守五階」

「作戦会議室」

三間三間の空間があり、戦いの時には、重臣たちが作戦会議を行う場所として考えられているそうです。

 

「大天守六階」(最上階)

 

「二十六夜神」

元和3年(1617)松本に入封した戸田氏が祀ったとされています。

 

 

「北方面」

 

 

「大天守四階(下り方面)」

「御在所」

城主が天守に入った時、ここに座を構えたと考えられています。

しかし、客人の接待場所ではないそうです。

 

 

「月見櫓二階」

 

「花頭窓」

「花頭窓」は、中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築様式で、天守建築では格式の高い窓とされています。

 

「月見櫓」

戦いの無い江戸時代初期に築造されたため、「天守」と大きな違いがあるそうです。

 

天井は、船の形をしていて、柿渋が塗られ幾分赤みを帯びているようです。

 

「本丸御殿跡」に女子高生たちがパフォーマンスをしていました。

 

※今までの文面は、「松本城管理課」のHPを参考にしました。

 

松本市のマスコットキャラクター「アルプちゃん」と一緒にカメラ

 

ブログを更新して、色々調べてみると、面白い事が多くて、予習して訪れたらもっと興味あるものになったのではないかと思いました。

 

次は、奈良井宿へGO!

 

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