萩市巡り-(菊屋家住宅・木戸孝允旧宅) | かっちゃんのブログ

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2023年12月30日(土)

 

津和野町から萩市へ移動しました。

 

※図面や文面は「萩市観光協会」HPよりお借りしました。

萩市は日本海に面しており、阿武川の下流が松本川と橋本川に分かれそれぞれが日本海へと通じる三角州の上に発達したまちです。

慶長9年(1604)、関ヶ原の合戦の後、毛利輝元卿(毛利元就の孫)が防長二州36万石の居城として萩城を築城し、明治維新に至るまでのおよそ260年間にわたって、萩は防長二州の中心として栄えました。
その城下町のたたずまいや、当時の町割りなどがよく残されていて、江戸時代の城下町絵図をそのまま用いることができる『古地図で歩けるまち』です。

 

 

「萩地域」は、江戸時代の町並みが姿をとどめる城下町、吉田松陰・高杉晋作など維新の志士達ゆかりの地が数多く残るエリアです。

全ては周る事が出来ないので、萩地域の「城下町エリア」に行ってきました。

 

訪れたのは「菊屋家住宅」と「木戸孝允旧宅」です。

 

菊屋家は、毛利藩の御用商人として藩を支えてきた豪商です。

屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担いました。

江戸初期の建築で、現存する大型町家としては最古の部類に属し、400年の歴史があります。

 

「菊屋家住宅」は、「御成道」沿いにあります。

 

「菊屋家住宅」入口

 

※「菊屋家住宅」HPよりお借りしました

 

「観覧券」650円を払い、進みます。

 

 

「書院座敷」

毛利藩主や 賓客を迎えた座敷で、藩の迎賓館のようなおもてなしの場です。

 

「書院庭園」

庭の中央に当時からの駕籠置石が残ります。

 

 

「萬歳幡」

 

 

「見島揚子(みしまようず)」

萩市見島では、男の長子が生まれた時、初正月に親類縁者が集って、大きな凧を作り、

天候を見て揚げる勇壮な儀式があります。

 

「主屋」

約400年前江戸初期に建てらえた重要文化財。現存する大型町屋としては最古に近い。

 

「電話室」

明治時代の終わりに個人の電話として設置されたレトロ感な電話。

 

 

「みせ」

みせは、御成道に沿って細長く部屋をとり、前に深い土庇を設けています。

 

「振り子時計(アメリカ製)」

初代総理大臣伊藤博文公が岩倉使節団の一員として渡米した際のアメリカ土産(Seth Thomas社製)。

今も動いています。

 

 

「土間」

 

「神棚」

HPには書いていなかったが、この家の神棚は、「萩市の住吉神社」でした。

 

 

「釜場」

18世紀の建築と思われる。

醤油、味噌等の製造に使用していたが、卸城下に史事等発生の時は、炊出しにも使用していた。

 

萩市内には、夏ミカンをはじめとする柑橘類380本が植えられているそうです。

 

「菊屋横町」

菊屋横町には、藩の豪商・菊屋家をはじめ、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地、第26代総理大臣・田中義一の誕生地があります。

 

「木戸孝允旧宅」

桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。

生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家は、中に入ると、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。

 

 

 

「手習い書」

推定7歳頃の手習い。

右下に師匠が朱で「以之外宜」(もってのほかよろし)と書き入れてます。

左下に「和田小五郎」と署名しているのは、彼が藩医和田昌景の子として生まれたことによるらしい。

のちに藩士桂家に養子に入ったことにより、志士時代の「桂小五郎」という名に変わりました。

 

「座敷」

 

 

 

 

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