2023年04月30日(日)
先祖・愛犬バクの墓参りに行く途中にある、「京丹後市網野町」に宿泊しました。
京丹後市網野町の「夕陽ケ浦」は、夕陽の名所、また、美人の湯として知られている「夕日ヶ浦温泉」も有名です。
私がここを知るきっかけになったのは、毎週土曜日出る「NIKKEIプラス1 何でもランキング」の中の
「気分はハイジ 山・海の絶景ブランコを楽しもう」(4月15日)で
第5位 「夕日ヶ浦海岸 ビーチブランコ ゆらり」にランキングされたことです。
※写真は「夕日ヶ浦観光協会」HPよりお借りしました。
そこで、京丹後市は何度も通ったこともある町ですが、宿泊したことが無かったので、一度宿泊してみました。
私が宿泊した旅館「丹後の湯宿ゑびすや」の場所は、「夕日ヶ浦」の海岸から離れたJR「夕日ヶ浦木津温泉」駅に徒歩1分程度の「木津温泉」です。
「木津温泉」は、京都府内でもっとも古い温泉で、別名「しらさぎ温泉」とも呼ばれ、奈良時代の僧侶行基が、「しらさぎ」が傷を癒しているのを見て発見したという伝承も残っているそうです。
「丹後の湯宿ゑびすや」は、海岸から離れており、付近には何もなく、チェックインする時、建物のインパクトが無かったのでガッカリしましたが、時間が経過する毎に変化していきました。
その新館隣にある本館(大正館)に、「松本清張」が「Dの複合」を書き上げるため2カ月滞在したと、初めて聞いてビックリしました。
ほとんど小説を読まない私は、松本清張という名前だけは知っています。
本館玄関
※ウィキペディアよりお借りしました。
本作執筆のため著者は、1965年の夏に、木津温泉に滞在した。宿泊旅館は「ゑびすや」。
著者が宿泊した際、同旅館の主人は「まさか文豪が来るとは」と驚き、名物の魚介類は時期的においしい素材がなかったために心配したものの、著者は「あなたたちの家庭料理が食べたい」と答え、出された料理を不平一つ言わず食べていたという。
著者は一日三回、朝昼晩と温泉に浸かり、6月初旬から2ヵ月近くにわたって、同旅館で自前の丹前を着て過ごしていたが、部屋の中が資料で雑然となったため、執筆には部屋の隣りの「休憩室」を使っていた。
この休憩室は現在も「清張の書斎」として保管されている。
窓からは田園風景と山、そのふもとに小さな神社が見え、小説に登場する死体発見の祠のモデルと推測されている。
書斎
玄関エントランス(実際はここから入り事はできず、新館から来ることができます)
1階廊下
2階廊下
昭和感あるうす暗い蛍光灯は、演出でしょうか?
洗面所
お手洗い
ある部屋を覗いてみました。
畳はとても綺麗で、実際に宿泊できるますが、現在、コロナ禍で自粛しており、新館のみ宿泊できるそうです。
1階にある「くつろぎスペース」でしょうか。
新館
ロビー
建物は古いが、清潔感がありとても気持ち良かったです。
新館と本館をつなぐ渡り廊下
左側にあるため池に「蛍」が生息しているそうで、夏になると見れるそうです。
食事も夕朝とも美味しく頂きました。
夕日は、強風のため波しぶきで水平線が良く見えないので諦めて、翌朝、「丹後松原」という場所で朝日を撮影しました。
夜明け前
朝日
「夕日ヶ浦」の夕日は、夏頃が絶景の見頃だそうです。