最後の晩餐メニュー
有名な「最後の晩餐」について、先日asaminさん から質問があった。
過去いろんな推測をされてきた。
というのもこの絵じゃはっきりとわからんもんね。
キリストの体をあらわすパン、キリストの血であるワイン、そして子羊ではないかと言われてきた。
ユダヤ教の過越という祭りの中で、屠殺した子羊とパンを食べるからだ。
実際他の画家が描いた「最後の晩餐」には子羊が皿にのっている。
問題はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれている料理。
最近の研究では「うなぎのグリル オレンジスライス添え」というような結論 が出されている。
絵を分析した結果と、当時の食文化を考察したことによる結論らしいです。
ああ、そうですか と納得できるもんでもないけど、そんなにトンデモ学説でもないみたい。
魚とパンとワインによる質素な食事と認識していたらいいんじゃないかな。
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最後の晩餐と釘 ダヴィンチ
1495-1498年 テンペラ 壁画 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院(ミラノ)所蔵
寡作なダヴィンチの数少ない完成品。
ダヴィンチコードでも題材になったように、深読みしたくなる箇所や謎が多い作品。
キリストの左にいる女性的な人はヨハネなのか?マグダラのマリアなのか?
不自然な手に持たれたナイフはなんなのか?
とかね。
これは誰なのか?なにを思っているのか?などの推測は置いといても、この絵は多少おかしい。
なにがおかしいかというと遠近感。
実物を見ていなくても、この絵は有名なので印刷物や映像などで見慣れてる。
だから違和感を感じないけれど、この部屋はやたら奥深い。
最近CGでこの部屋を再現していたけれど、計算上は奥の窓まで20mぐらいあるらしい。
そんな広い部屋の手前にみんなが集まって食事ってのもおかしな話。
じゃあ間違いなのか?
間違いではなく、人物を際立たせよりドラマチックに描いたものだと言われている。
遠近法に正確に描くとなると↓こうなるんだろうけど、
アンドレア・デル・カスターニョ作 「最後の晩餐」 1447年 サンタポッローニア修道院食堂(フィレンツェ)
比べるとダヴィンチのほうがドラマチック。
そんな遠近法の消失点だけれど、キリストの眉間からこめかみのあたりにある。
実際、キリストのひたいには釘の跡も見つかってる。
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草上の食卓 マネ
マネの絵に「草上の食卓」という有名な作品がある。
1863年 キャンバス 油彩 オルセー美術館収蔵
今見るとどってことない絵。
どってことないってのは平凡とか下手という意味じゃないよ。悪い絵じゃないってこと。
だけどこの絵が発表された当時は、そういう評価じゃなかった。
悪い絵と評価された。
どう悪いのかというと非道徳的だと評価された。
裸の女性が、野外で男と遊ぶなんてマトモじゃない。
そんな絵を描くなんて非道徳だ。
ということだったの。
19世紀後半には、市民の間で余暇を楽しむ余裕があった。
セーヌ河畔では、水浴を楽しむ女性の姿も見ることがあった。
そういう自由なパリの空気をマネは描きたかった。タブーを恐れず、それを描いた。
その結果は罵声、酷評だったらしいけどね。
この時代にもヌードは描かれていた。名画の中にもヌードは多いしね。
ただそれには言い訳があって、神話や歴史画でなければならなかった。
一般の女性は駄目だけど、女神なら人間じゃないから裸でもいいというわけ。
↓こんなのはいい。
今回の「草上の食卓」のように人間の裸、それも男たちと遊ぶ裸の女なんてのは駄目。
許される裸と、許されない裸があったんだね。
生活空間、日常の中で裸になっているなんてのはもってのほかだった。
時代、国、宗教によって猥褻の判断は違う。
見方、見る場所、見る時、見る人によって名作であったり、なかったりする。
マルガリータ王女 ベラスケス
薔薇色の衣装のマルガリータ王女 1653~1654年 油彩 キャンバス ウィーン美術史美術館蔵
マルガリータ王女 1660年頃 油彩 キャンバス マドリード、プラド美術館蔵
スペイン王フェリペ4世の王女 マルガリータをベラスケスが描いたもの。
もっとも2枚目の作品は近年の研究で弟子が描いたものとも言われているらしい。
この時代の肖像画は自由きままに描いていたわけではない。それなりの決まりごとがあった。
・市民階級には全身ポートレイトがない
・どういう職業かをあらわすようなものといっしょに描かれた
といった決まりごと。
肖像画というのは今、人々が気軽に撮ってるスナップ写真とは違う。もっと公式なもの。
だから王女は王女として高貴に描かなければならない。
高貴なドレスは勿論だけど、手に持っているものが大切。
高貴な女性の象徴と言えば、レース、扇、刀の鞘などがある。
上の2枚の絵の中のマルガリータはそれを持っているよね。
王女だということを知らなくても、この少女がただものではないことがわかる。
部屋の調度品、身に着けているもの、持っているもの。
そういうものを見れば、描かれている人物がどういう人かわかる。
アグネスのことを知らない人でも、↓この写真を見れば、金持ちだなあって思うよね。
そんな感じ。
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窓辺で水差しを持つ女
「窓辺で水差しを持つ女」フェルメール
1662年~1665年頃 油彩 キャンバス メトロポリタン美術館収蔵
キレイな絵だ。
光
明暗
タイトルにあるように、窓辺で水差しを持っている女を描いている。
その右下にあるコレ↓
水差しの横に置いてある箱は宝石箱。宝石箱が意味するものは虚構。
水が入った水差しは純潔を意味する。
そして今まさにその水を捨てようとしている。
彼女は純潔を捨てなにを手に入れようとしているのか・・・
そうこれは単に「キレイだな」とか「うちのリビングにあうなあ」という絵ではなかった。
フェルメールが活躍していた17世紀のオランダはプロテスタントの社会だった。
神やキリストや天使の姿を描くような宗教美術ではなく、聖書の教える倫理観を日常の静物画、風俗画のように描く必要があった。
この絵も女性としての生き方、倫理観、美徳のようなものを説くメッセージが込められている。
こういう絵ってやたらと「純潔」をおしてくるね。
そんな時代
もあったんだな。
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