またしても期待外れだった大新聞ご推奨の本、黒田 日出男・著「江戸図屏風の謎を解く」の読後感を記録にとどめよう。内容紹介は次の通りとなっている:
江戸城内をゆく山王祭礼が描かれた「江戸天下祭図屏風」。紀伊徳川家上屋敷が大きくクローズアップされたこの屏風は、いつ、誰が、何のためにつくったものか。描かれた建物や人物、画面構成などを絵画史料として分析・読解し、つくられた時期は明暦大火後、折りしも紀伊徳川家が慶安事件(由比正雪の乱)の嫌疑を受けていた頃と推理する。さらに時代背景と伝来などの推理から、屏風に秘められた謎をスリリングに解明。
こんな風に書かれれば、歴史や推理の好きな者なら興味をそそられるに決まっている。
読み出すと、著者の博捜振りには舌を巻く。主題に関連する様々な分野の専門論文や資料を調査し、それぞれの専門家に論争を挑む自信家でもある。先人の説を否定する論理は説得力がある。
しかし、彼自身の所説にも、その否定論理が適用出来るのではないかと思われた。
個々の細部に亘る記述には、一般読書家向けとは言えない過剰感が滲む。
そもそも、何故、今「江戸図屏風」なのか。我々が関心を持って然るべきテーマであることを自然に理解させるものが無い。
唐突に「いつ、誰が、何のためにつくったものか」との問い掛けがある。それが現代の我々に如何なる意味を持つのか、明らかには読み取れない。
謎なぞ初めから存在しないのだ。単に設問があるに過ぎない。要するにネーミングなのだ。
勿論、理屈ぬきで歴史的推理を楽しむには格好の読み物であるから、たまたま当管理人の関心、興味の在り所を外れていただけとも言える。本書を読んで大いに楽しみ、満足を得た人も多いに違いない。
‘~~の謎’とか‘~~の謎を解く’とかの看板の誘惑には抗し難い。これからも罠に嵌り続けるだろう。
本書の核心からは遠い話題だが、謎が一つ発生した。
紀伊徳川家初代当主頼宣が慶安事件関与の嫌疑を晴らすことになったという弁舌の内容が、書中の現代語訳でもぴんと来ないのだ。