安閑神社(高島市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

物の価値について。

たとえば、縄文時代に作られて原型をあまりとどめていない石棒と、江戸時代に左甚五郎が掘った男根型とではどちらが価値があるでしょうか?

これだと、価値観の違いがありますから一概には言えませんけど、一般的には左甚五郎のほうになりそうな気がします。

僕も左甚五郎作の男根欲しいもん。

これが左甚五郎作でなく、誰が作ったかわからないけど、左甚五郎並の出来栄えだったとしたら、価値はぐっと下がるのは想像するまでもないことですよ。

もっとわかりやすくいいますね。

唐の時代の有名な書家に、僕の好きな字を書く顔真卿がいますが、たとえばね、顔真卿が当時書いて現代では劣化しているものと、それを現代の技術で完全に復刻したものとでは、どちらが価値があるのか。

とうぜん、価値は顔真卿のものに間違いないですよね。

高島市のお次は、安閑神社に来たわけですが、そういえばこういうのあったのすっかり忘れてましたわ。

手水舎の横に入口があります。

安閑神社
御祭神は安閑天皇なのかな?

鳥居に見えたんやけど、これはお地蔵さん。

さてそんでこちら。

水口石(力石)

こちらが神代文字が掘られているという石です。

説明
これが神代文字であるかという議論よりも、いつ掘られたのかちゃんと調べてほしいです。

石棺の一部だったのではと言われてたりするようですが、それなんでしっかり研究しないかな?

もしそうだったら、ピラミッドに掘られたヒエログリフのような扱いになるのにね。

こういうとこ日本の考古学者のダメなとこで、日本の考古学者は軒並み左の人が多いようにすら思えるほど、神話を比定するとこから入るんですよ。

なので神話通りのものが出てきたら、自分の学説が比定されるから無かったことにしてそうです。

それらを覆したのが、荒神谷遺跡でしたが、そのようなとこ日本中にたくさんあるはずなんです。

もっと神話と呼ばれるものを史実として研究するロマンチストな考古学者が現れてほしいです。

さて、神代文字についてですが、すべては信用しませんけど、あってもおかしくないよねってのが僕の見解です。

漢字伝来まで日本に文字がなかったかのような、自国を卑下するような歴史感はいりません。

規模は小さかったかもしれませんが、それぞれの集落に文字に相当する連絡手段はあったと考えるのが普通ですよ。

ちなみに滋賀県高島市には神代文字で有名になった場所がありますので、またお話するとします。

本殿裏にも小さな社ありましたので、背後から。