吉備津神社・備中国一宮(岡山市北区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

岡山県って新宗教の発祥が多いような気がします。

前回ご紹介しました福田海もそうですけど、同じく吉備の中山麓には黒住教本部ありますし、金光教もサムハラ教も岡山です。
 
黒住教本部も当初は計画に入ってましたけど、結局は吉備津神社で岡山県の寺社巡りは終了となります。

早くビール飲みたくなったので仕方ない。

福田海本部から足を早めて吉備津神社に到着です。
 
入ろうと思ったら電話かかってきて、埒が明かずに30分ぐらいこの前で話してて思わぬタイムロスでしたが、気分を取り直してお邪魔します。

北随神門

石段上がって拝殿へ。

吉備津彦神社よりよ古さが感じられて、こちらのほうが好きです。

拝殿

本殿

比翼入母屋造という建築様式で、全国でここだけなので吉備津造とも称されています。


祈願トンネル
絵馬がかけらたトンネル状のものです。

その先にあるのは一言主社。

少し高いところから本殿を。

御祭神は大吉備津彦命です。


こちらは一言主社の本殿だったと思います。

回廊のほう向かいます。

有名な回廊

ちょうど結婚式してたようで、その後の撮影しててすごい邪魔だったのですが、神社にとってはそちらのほうが上客だと思いますので遠慮しながらこちらも写真撮っていきます。


でも言わせてもらいます。

新郎新婦に対して撮影スタッフが五人ぐらいいたのですが、僕が撮影の合間を待ってるのに気付いたのは新郎新婦ですよ。

もちろん声には出しませんでしたけど目線でわかりますよ。

カメラマンとコーディネーターは仕方ないと思いたいですけど、カメラマンなんて被写体の視線なんてすぐ察知すべきやし、他の人らはなんのための取り巻きやと思いました。

ても祝い事に腹立てることもなく、横道それながら回廊を縫うように回っていきました。

えびす宮

回廊に面した社のほとんどは石段上がっていくことになります。

岩山社

御竃殿
やはり吉備津神社ではここが重要でしょう。

中に土竈があってそこに鉄釜がかけられ、その上に木製の甑が載せられているようです。

御竃殿には阿曽女(あそめ)と呼ばれる巫女が奉仕しており、毎朝の神饌を作り神前に供えているそうです。

僕の勉強不足なのですが、鳴釜神事って例祭たと思ってたんですけど、依頼があれば随時行っていたようてす。

しかも初穂料三千円からだそうです。

中に入れて神事が受けれるのなら安いもんです。

無知は罪だなと反省しております。

依頼があると、巫女がうらないの秘法を行い、神官が祝詞を奏すると、やがて釜が鳴るそうです。釜がさわやかに鳴ると良い知らせ、鳴らなかったり低調であれば不吉な知らせとされるようです。

なお、この竈の下には、大吉備津彦命が退治をした温羅の首を埋めていると伝えられています。

三宮社
春日宮、大神宮、八幡宮です。

御供殿

本宮社

備中国一宮の御朱印

桃太郎の話の元になったとも言われる大吉備津彦命の温羅征伐ですが、はねた温羅の首は大声をあげ、唸りが止むことはありませんでした。

骨だけにしても唸り声は鳴り響き、やむなく現在の御竈殿の釜の下に埋めましたが、それでも声は止まず、困り果てていた大吉備津彦命の夢枕に温羅の霊が現れ、『自分の妻に釜を炊かせなさい。世の中に何かあれば、私の釜の前に来てみよ。幸あればゆたかに、禍あれば荒々しく釜を鳴らそう。吉凶を示し、市民に懲罰を与える』と言いました。

大吉備津彦がその通りにすると唸り声は収まり、これが鳴釜神事のはじまりと言われています。


鎮魂のためなのはあきらかなのですが、恨みを持って死んだ者が、己を殺した者に対して夢に現れ言うことにしては違和感ありますよね。

この発言からも推測できるように、温羅は傍若な鬼ではなく、民のことを思う首長であったと思えてなりません。

ちなみに釜鳴神事の巫女は阿曽女と呼ばれますけど、温羅の妻の名は阿曽女なんです。
 
ここでも温羅の優しさが感じられて仕方ありません。

あえて今回の記事では吉備津彦について思うところを書きませんでしたので、こちらの記事をリングしておきます。


そろそろ作りかけで放置してる替え歌仕上げなあかんな。