畝傍山山頂の畝火山口神社跡(橿原市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

全国的に有名な神社でも、地元では人気がないというか、あまり重要視してないってことに触れることがあります。

出雲に行った時、地元のおばあさんがやってる居酒屋で飲んでまして、神社巡りに来たって話してて、おすすめの神社を聞いたら『韓竈神社』 との答え。

出雲大社行かなくていいから、韓竈神社に行ってくれって言われましたが、奥出雲まで行く時間がなくて断念したのを覚えています。

伊勢の別宮巡りで、宿を松阪にとって近くで飲んでて、ハシゴ四軒目のバーでもそんなことがありました。

翌日、早朝に滝原宮に行くって話したら、わざわざ滝原宮に行くために松松阪に宿を取ったことをすごく喜んでくれましてね。

そのバーのママもチーママも、何かの折には伊勢ではなく滝原宮に行くそうです。

奈良でも同じように言われたことがあります。

橿原神宮について職場の人に聞いたら『あそこは後から来はった神さんやから、地元の人は大神神社に行く』とか。

そんなん聞かされてたこともあってか、寺社巡り始めた頃は橿原神宮に行きたいなって思わなかったんですよ。

さらに饒速日にハマったりしたので、橿原神宮よりも物部系の神社に興味がいくようになり、どちらかというとアンチ神武天皇って感じでした。

しかし、いつしか気づいたんですよ。

やはり神武天皇は尊重するべきだと。

実在しないとか、創作だとか言う人いますけど、そんなことを主張して何になるのかなって思いますし、第一、天皇が天皇たる所以ってのは血ですから、それが続いてると記録に残っているってだけで充分じゃないのって思うようになりました。

今上陛下が天皇である理由は、上皇陛下の子だから。

これほどわかりやすいことないですよ。

その後、橿原神宮にもお詣りに行くようになり、いつかは畝傍山にも登りたいなって思ってたんですよ。

何度も練り直して、畝傍山を東から西に超えるコースに決めました。
 
何やろうと思ったら松ぼっくりで作った人形でした。
松ぼっくりを漢字で書くと、松毬と書くようですが、他に松陰囊とも書くことがあるようです。

陰囊って『ふぐり』ですから、あまり表に出てくる漢字表記ではありません。
 
畝火山口神社に下りるのですが、まずは山頂めざします。 

僕にしては珍しく山頂が目的のこともあるんです。

向こうに見えるのは二上山かな?
 
途中いくつかショートカットしたいとこがあったのですが、もう無茶はせんようにしてます。

歩きやすい道なので普通に歩いたらいいよね。

到着
 
こちらは垣で囲われてて禁足地となってました。
 
特に何か祀られている感じではないですが、元々はなんかあったのかも。

畝火山口神社の元の鎮座地だそうですので、その祭祀跡かもと思いましたが、それはこちらのようです。 
 
それを示す石柱がありましたけど、どちらかピンポイントというより、山頂全域が元鎮座地と思っていいんちゃうかな。
畝火山口神社跡となってますが、現在の鎮座地は山口、すなわち麓ですけど、元は畝火神社と呼んでたと思います。

もっと古いなら、そもそも神社としての社殿とかもないですけどね。

低山なので樹木で景色があまり見えませんでしたが隙間から。 

これなんて耳成山が見られるようにするために剪定してるんちゃうかなって思えるくらいの隙間です。
畝傍山は耳成山と香具山で大和三山なので、もしかしたら香具山が見えるポイントがあったのかも知れません。

三角点 
標高は198.49メートルだそうです。

尼津彦は山だいぶ登ってるだろうと思われてる方多いと思いますが、低山ばかりなんですよ。

これまで登った山で一番高いので1249メートルの高見山ですから。

この先、伊吹山登ったら少し更新するかもね。

この後は、現在の畝傍山口神社に向かいます。


冒頭の話の続きで、もひとつ言っておきたいことがありました。

左翼的な政治団体がよく、『天皇制反対』とか言ってますけど、日本に『天皇制』なんて制度はありませんからね。

日本国憲法読んでないか、読めても理解できてないんでしょうかね。