東大谷日女命神社(橿原市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

このブログを読まれてる方は、僕と同世代のかっつり昭和に青春を過ごした方が多いと思われます。

特に男性は思い出してください。

携帯電話を持っているのが、成金社長や筋者しかいなかった時代ですから、家電か手紙しか通信手段がありませんでしたよね。

なので、女性をデートに誘ったりするハードルが高いのなんの。

今なんてLINE聞くのって初対面でもできたりしますから、なんて楽な出会いの始まりやと羨ましくもあり、勿体ない気もしたりします。

この話の続きは最後に書くとして、本題入ります。

橿原神宮の北参道の途中のこの道に入ります。

この道を行く。

ほどなく東大谷日女命神社の鳥居に到着です。

鎮守之宮となっています。

これも目当てのひとつでしたよ。

この石を肉眼でしっかり確認したかったんですよ。

庚申って彫られてるのは知ってましたけどね。
形状が男根でしたので、元々陽石だったものを削って彫ったんじゃないかと思えてしまうんですよね。

庚申の日は性行為をしたらあかんって民間信仰で言われてますから、陽石に庚申の文字を刻むってのも意味ありげなような気がします。

横から見ても怪しい形してますよ。

もう少し進みます。

拝殿

狛犬

子供が張り付いてます。

きっちり丁寧に彫り込まれねいます。

拝殿からの本殿
御祭神は、神武天皇の皇后である媛蹈鞴五十鈴媛命です。

明治11年頃までは熊野権現として伊弉册尊が祀られていましたが、明治20年頃になって、式内社の東大谷日女命神社の論社とされ、御祭神を神功皇后に変更されましたが、その後更に御祭神を媛蹈鞴五十鈴媛命に変更されているようです。

こういった御祭神の変更ってよく聞きますけど、本末転倒のような気がしてます。

御祭神がいるから社で祀るものだと思ってますけど、社の都合、いや人間の都合なんですけど、それで御祭神を変えてしまうってのはどうなのかなって。

卵が先が鶏が先か言い出しても仕方ないのですが、もっと言うならば本来は自然信仰で山とか拝んでたのが、拝所が出来て神社になってきたことからもわかるように、元々は人の描写がされてる神なんていなかったってことです。

功績があったり、人から慕われ死を惜しんだ人達が、その人を神として祀ったのが、今の神社に名を連ねる御祭神の大半なわけです。

ここからさらに畝傍山山頂に向けて歩きます。

冒頭の話の続きですが、十代の頃って告白ってものがまずあってからのお付き合いというのが揺るぎない定番でしたが、年を取るごとに、まず飲みに行ってから仲良くなって、その後の進展があるかないかっていう気軽な第一段階が踏めるようになりましたよね。

そういう点で、女性友達が増えることにも繋がります。

現在気軽なひとり飲みが多い僕ですが、誰かと飲む時に一番多い相手が、職場の後輩女性だったりします。

ずっと仕事の話してますけどね。

その女性とよく飲むのはなんでだろうって思いながら家に帰りますと、サントリーのホームタップに同封されてたカードに答えがありました。
そういうことやね。