今年は閏年です。
閏年といえば四年に一度巡ってくるというのは常識のようになってますが、これは間違いです。
四年に一度だと4の倍数は閏年ということになりますよね。
2024年は4の倍数なので閏年ですし、2000年も閏年です。
しかし1900年は閏年ではありませんでした。
次は2100年が閏年ではありません。
閏年の定義について説明しますね。
ローマ教皇グレゴリオス13世により制定されたものをグレゴリオ歴と呼び、現在一般的に用いられています。
グレゴリオ暦では、次の規則に従って閏年を設けるとされています。
①西暦年が4で割り切れる年は(原則として)閏年。
②ただし、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。
③ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年。
と、されています。
『原則として』400年に97回の閏年があるというわけです。
日本においては、閏年の判定は西暦ではなく皇紀によって行うことが法令で定められました。
明治三十一年勅令第九十号
神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
神武天皇即位紀元年数を4で割って、割り切れる年を閏年とする。ただし、皇紀年数から660を引くと100で割り切れる年で、かつ100で割った時の商が4で割り切れない年は平年とする。
難しい書き方ですが、西暦年数から閏年を判定するグレゴリオ歴と同じです。
グレゴリオ暦はキリストを起源とするので西暦で計算できますが、皇紀でやりますと通常の閏年は当てはまることができますが、例外部分にズレが生じてしまいます。
なので660を引くことになるのですが、これって西暦に合せるための苦肉の策ですよね。
西暦ありきだから紀元前の660という年数が出てくるわけですよ。
明治31年勅令ですから、西洋の習わしに染まっていってるのは当然ですよね。
でもね、それでも西暦という言葉を使わずに、あくまでも皇紀で定めようとした明治政府は頑張りましたね。
維新後の明治政府は嫌いですが、当時の中心人物が亡くなってからは、捨てたもんじゃないかもって思えてきまさた。
この冒頭、2月29日に書こうかと思ってたのてすが、今日の記事が橿原神宮だったので先に書きたくなりました。
橿原神宮は三度目かな?
鳥居が明神鳥居ではなく、神明鳥居ならなおいいのですけどね。