彌栄神社(大阪市生野区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

健診終わりました。
 
健診という、また日を改めて検査するための問診でした。
 
まだこの記事が上がる頃は検査前なので結果は出てない状態です。
 
問診終了後、せっかくなので、普段来ることのない生野区回ってみましょうね。
 
まずは彌栄神社から。

通称『やえじんじゃ』だそうですが、『ぃやさか』と読むのが本来の読みだと思います。
 
手水はさながら墓前の花のようになってました。
 
こちらは横入りでした。
 
正面はあちら。
 
拝殿
 
狛犬は手拭いマスク着用中
 
本殿
旧出雲国意宇郡の熊野坐神社よりの分霊を奉還したのがはじまりと旧記にあって、その当時は牛頭天王社と呼ばれていたそうです。
 
牛頭天王の総本宮といえば、京都の八坂神社と姫路の廣峯神社が共に主張していますが、えべっさん同様に、どちらも正しくどちらも間違いというのが僕の考えです。
 
詳しくはそのうち行くことになります廣峯神社の時にでも書くつもりですが、少しふれますと、全国に祇園信仰として牛頭天王を多く広めたのが八坂神社なのは事実なので総本宮を名乗るに相応しい。
 
しかし、その八坂神社の牛頭天王はどこから来たのかとなれば廣峯神社とされてるんです。
 
祇園社の元宮ともなれば、総本宮は本家の廣峯神社だという主張も理解できます。
 
それらの本家争いに対して静観してるように思いますが、廣峯神社もとある神社から勧請されてるんですよね。
 
それが福山市の素盞嗚神社です。
 
元を辿れば辿るほど、ほんとの元宮ということになっちゃいます。
 
福山市の素盞嗚神社は吉備真備により創建されていて、蘇民将来の屋敷跡だと伝わっていることもあり、そこが発端と見ていいのかも知れません。
 
牛頭天王は陰陽道に深く関係してますので、分霊とか勧請とかを抜きとして信仰としての元宮探しだとインドまで遡らなければならなくなるので、それは現実的ではありませんのでやりません。
 
さて、こちら彌栄神社は出雲の熊野坐神社からの分霊ということですので、素盞嗚の本家本元からの分霊と考えてよさそうです。
 
あくまで推測ですが、出雲からの素盞嗚ルートと、先に習合した福山からの牛頭天王ルートがあり、後にそれらがさらに習合してややこしくなったのではないかと考えたいところです。
 
少しと言いながら長くなりました。
 
後はざっくり境内紹介します。
 
縁結びで売り出しているみたいですね。
 
 こちらから縁結びの主を見にいきましょう。

途中の福徳大明神
 
つきあたりが縁結びのとこ。

大国主かと思ったら、櫛名毘売大神。
素盞嗚夫妻で完結でした。

なぜかピザ窯