御幸森天神宮の次は彌栄神社にきました
御幸森天神宮から歩いて5分もかからない所にありますぅ
彌栄神社(弥栄神社) [やえいじんじゃ]
神祖素盞嗚命を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりと旧記にあります。
神祖素盞嗚命を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりと旧記にあります。
その当時は牛頭天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座を設けて奉仕し、明治5(1872)年村社に列せられ、社号もこの時に彌栄神社と改められました。
明治43(1910)年、氏子協議のうえ大字岡村(現勝山北4丁目)の御館神社を合祀しました。
その御館神社は、旧岡村の生土神でいばらの神と呼ばれ、仁徳天皇の的殿(まとどの)の旧跡で、現在は彌栄神社の御旅所となっています。
この手水舎の手洗石は享保十五年(1730)の手洗石だそうです
龍……いい感じやねぇ
拝殿
妻入りの拝殿だそうです
妻入りというのは、日本建築の出入り口の設置場所のことで、建物の妻側に出入り口を設けるところからそう言われるようになったそうですよ
外観や構造、建物全体のバランスなど、様々な要素が加わって、どちらに入り口を設けるかということが決まるようで、なかなか奥深い計算がそこにはあるようなんやぁ
外観や構造、建物全体のバランスなど、様々な要素が加わって、どちらに入り口を設けるかということが決まるようで、なかなか奥深い計算がそこにはあるようなんやぁ
御祭神
素戔嗚尊、仁徳天皇
素戔嗚尊といえば、須佐之男命であり、祇園信仰の牛頭天王(ごずてんのう)をイメージするかもしれませんねぇ
素戔嗚尊、仁徳天皇
素戔嗚尊といえば、須佐之男命であり、祇園信仰の牛頭天王(ごずてんのう)をイメージするかもしれませんねぇ
実は廃仏毀釈の時を経て、牛頭天王を祀る寺院は少なくなったようです
そして、こちらの弥栄神社も元は牛頭天王だったと言われています
そこから、御祭神は素戔嗚尊なのでしょうねぇ
そして、仁徳天皇は、当時、この地の治水に尽力した人物としても名を残しています
この弥栄神社も治水のための堤として造られたという説もあるようで……
そして、仁徳天皇は、当時、この地の治水に尽力した人物としても名を残しています
この弥栄神社も治水のための堤として造られたという説もあるようで……
大阪平野はこの当時、ほとんどが海や池であったのですが、この辺りはそれでも早くから土地があった場所だったのですね
当時の情景が目に浮かぶよう……
拝殿前、大正14年生まれの狛犬〰️
こちらの狛犬は先ほどのものとは違って、少し外国風の容貌に感じられますなぁ〰️
こちらの狛犬は先ほどのものとは違って、少し外国風の容貌に感じられますなぁ〰️
この顔つきってもしかすると韓国的なのでしょうか?
毛がふさふさで顔つきもとても特徴的やぁ〰️
絵馬殿
絵巻の周りには縁結びだらけで
特に縁結びのガチャガチャがあるのは驚いた
縁結びの絵馬
うん
凄い……
白玉稲荷神社、櫛名田昆売神社、福徳大明神 入口
大阪府大阪市生野区桃谷2-16-22
鶴橋と言えば……
焼肉〰️
そしてキムチ〰️
って事で鶴橋では評判のいい
崔おばさんのキムチ (チェオバサンノキムチ)にきたぁ〰️
鶴橋駅の西口から出て、商店街に向うとすぐに見つかります
鶴橋の商店街は狭い路地が複雑に絡んでおり、目的の店を探すのが大変だったりするんやでぇ〰️
そういう店の中ではかなりわかりやすいロケーションなのですが、出口を間違えると、途端に探せなくなってしまうのです
鶴橋駅は、地上駅としてはJR大阪環状線と近鉄線があり、地下には千日前線の駅があり、乗り換え駅としての利用頻度が高い駅なのです
ただ、それらの駅から出た瞬間、鶴橋商店街のダンジョンに放り込まれてしまうので、降りる場合は出口を間違えないようにしなければいけません
イートインスペースのないテイクアウト専門店なのですが、一応試食は可能〰️
「辛いキムチってあるの?」と聞くと、店員は『激辛があるよ』と即答し、試食が出来るから食べてみて、と付け加えながら試食コーナーを指差しました
なるほど、よく見ると10数種類の試食用のキムチ類が並んでいて、その中に"白菜キムチ"が4種類もあるぅ〰️
甘口、中辛、辛口、激辛とまるで市販のカレーの辛さ表現のようになっていたのですが、
連続して並んではいなかったので気づかなかったわけです
連続して並んではいなかったので気づかなかったわけです
帰ったらすぐに手を伸ばしきたぁ……
焼肉……
キムチ……
身体中から臭いを発してるからかぁ〰️