太閤園②/庭園の石橋と石仏群(大阪市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

太閤園の庭園の続きです。
 
この庭園の池に架かるこの橋は、安土桃山から江戸時代のものと言われる石橋です。

これは網島稲荷の手前ぐらいからの眺めです。
 
庭園入ってすぐ、右手から渡ることができます。
 
石橋を渡りきりますと、さらに飛石が続きます。
 
石仏でも彫られてあったっぽい石
 
紹鷗の塔(室町時代)
 
雪見燈籠(大正時代)
 
春日燈籠(江戸時代)
 
石橋方面は通行禁止の柵がなかったので渡りましたが、稲荷前の通行禁止のとこに出ました。
 
夜は落ちる人いそうなので、ここも通行禁止になるのかも知れませんけど。
 
いよいよ、仏ゾーン突入しますよ。
 
何コレ?ってぐらい密集してます。
 
ここも目の前まで行ける細い道があるのですが、ロープが張られていたため近づけませんでした。
 
左から、変形六地蔵板碑(室町時代)、真ん中上が阿弥陀三尊(室町時代)、その下が阿弥陀座像(鎌倉時代)
 
名称がわからないものを含めるとかなりの数です。
 
風神雷神
 
いい感じの岩
 
それぞれ統一感が全くなく、寄せ集めた感じの違和感がありますが、パラダイス的にはOKです。
 
この六地蔵なんて回るんちゃいますかね?
 
見えにくいけど草に隠れて、鬼石(室町時代)
 
対になってるもう一方。
 
羅漢像?
 
如来座像
 
この石燈籠も古そうです。
 
十三重の石塔(鎌倉時代)
 
料亭の池
 
写真だけだと、大阪市内って思いませんよね。
 
見上げれば石仏。
 
ここ太閤園は藤田観光株式会社の所有で、藤田財閥創始者である藤田傳三郎男爵が贅と粋の限りを尽くして築造した網島御殿を前身とするそうです。
 
道路を挟んで、傳三郎男爵の邸宅や美術館があります。