元々の計画では矢田坐久志玉比古神社の次は矢田寺に行くつもりでした。
前回も寄らずに帰ったので今度こそはと思っていたのですが、なんででしょう。
またしても寄るのがめんどくさくなりました。
とっとと松尾寺に向かうわけですけど、寄り道。
なんていうバス停か忘れましたけど、乗り換えの時間までだいぶあったので歩きます。
ちなみに出雲大社という呼び名は近世になってからで、それまでは杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていたんですよ。
出雲といえば国譲りが有名ですけど、大己貴が譲ったのって出雲じゃないんですよね。
あくまでも葦原中津国なんです。
場所は高天原と黄泉の国の間に存在するということから、黄泉比良坂の比例地とされる島根あたりを指すようになったのでしょうけど、では高天原はどこなのか?
リアルに歴史上の出来事として考えたい尼津彦としては、天界なんて解釈はしません。
高天原とは政治の中心地のこと、すなわち当時の天照大神の政庁である伊勢としたい。
そして黄泉国を島根としても、はたまた四国としても、葦原中津国は近畿から中国地方全域に及ぶのではないかと。
大己貴の国造りは出雲神話だけでなく、播磨風土記などにもエピソードが多いことからも、勢力が近畿に及んでいたことが伺えます。
また奈良県の初瀬に出雲という地名が残っていたりしますよね。
あと、面白いのが国譲りを成功させた後、天孫はなぜ高千穂に降りるのか。
普通に考えたら葦原中津国に降りますよね。
ここで天火明がキーワードです。
瓊瓊杵より先に兄の天火明が降りてるんですよ。
近畿は天火明が治め、遅れて瓊瓊杵が九州から全国を行幸し目まぐるしい功績を上げられた。
そして天火明の宮は衰退し、本流は瓊瓊杵の血統へ。
天火明の死後、跡を継いだ饒速日と瓊瓊杵の血統の狭野尊(後の神武天皇)との物語につながるというわけです。
本日の尼津彦ワールドここまで。