賀茂御祖神社の御朱印(京都市左京区) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

PCでブログを書く時は境内の社の名称とか別タグで確認しながら書くのですが、間違えてブログのほうの←を押してしまい、長々書いた尼津彦ワールドがパーになることが多い尼津彦です。
 
皆様おはようございます。
 
三度目の書き直しです。
 
 
下鴨神社こと賀茂御祖神社も山城國一の宮です。
 
二社併せて賀茂社とするんでしょうかね。
 
少し前に式年遷宮のお金が足りないから神社前の土地を売るとかなんとかニュースになっておりましたが、この工事ってすれですかね。

前に来た時はもっと気持ちのいい参道だったのに残念です。
 
その先は雰囲気のいい参道ですが。

 
参道に入ってすぐ左手に河合神社があります。
 
美人祈願で訪れる方が多いようで手前の売店で美人水も販売されてます。

 
河合神社

 
拝殿

 
本来はこの河合神社のほうが古くからあるらしいです。

 
よさげな三井社

 
参道に戻ります。

 
さざれ石

 
楼門

 
舞殿

 
中門

中門より先には十二支の社と本殿二棟があります。
 
写真撮影が可能かどうかわからなかったのですが、さすがに撮る気になりませんでした。
 
 
出雲井於神社

 
さて昨日の尼津彦ワールドの続きです。
 
賀茂別雷神社の御祭神の別雷神を瓊瓊杵尊と言いました。
 
それではここ御祖神社にはどなたがおられるのかということを書きながら昨日の補足になればと思います。
 
まず昨日の記事で御祭神を賀茂別雷神ではなく別雷神と途中から意識して書いていたのですが、これには意味があります。
 
賀茂という名は賀茂氏が氏神として仰いでいたのでまぎらわしいのですが、あくまで地名です。
 
賀茂氏も地名を氏にしています。
 
どうしても意識が行くので、賀茂は一旦無視します。
 
本殿の御祭神は建角身とその娘の玉依姫。
 
玉依姫は丹塗矢により御懐妊した方、建角身は神武東征の時のヤタガラスのことともされている方です。
 
本殿の御祭神のうち建角身とその妻の五十依姫が本来は河合神社の御祭神のようです。
 
「河合」も「賀茂」と同様に地名というか地形を意味します。
 
どちらも川合の土地のことです。
 
ここに住まわれていた建角身と五十依姫を地名から河合神と称え名されました。
 
が、別雷神を玉依姫と丹塗矢の子と解釈したため、その御祖である玉依姫とさらに御祖である建角身としたのでしょう。
 
それに賀茂氏がからんできて、賀茂氏の先祖であるから建角身を御祖とするのに理由はいらなかったと思います。
 
しかし、本来、御祖(みおや)天君として称え名された方がおられます。
 
それが波限建鵜葺草葺不合命です。
 
波限建鵜葺草葺不合尊は丹塗矢との間に子供を授かったという玉依姫を連れ子共々宮入りさせます。
 
そして神日本磐余彦尊などの子を儲けます。
 
鵜葺草葺不合と玉依姫の夫婦が御祖神社の御祭神であるのが本来の姿です。
 
うまく説明できる言葉でまとめられないので、申し訳ありません。
 
自分の中では結論があってそれの理由づけになっている部分が多いので矛盾や強引さがあるのは承知してます。
 
もっと勉強します。
 
結局もっと不完全燃焼の尼津彦ワールドでしたね。
 
 
ちなみにですが、鵜葺草葺不合が神上がり後に贈られた名があります。
 
それは「カモの神」
 
そして斎名が「カモヒト」
 
 
 
 
賀茂御祖神社の御朱印


河合神社の御朱印