今回は道徳的実践を長期に渡って行うには、道徳と幸福が融合する必要性があることについて解説する。
幸福を意志の基底原理とはせず、善の義務を強調したカントだが、実践的な理性は徳と幸福の一致を求め,それを「最高善」の状態とした。善を幸福と融合させなければ長期的実践を行う事が人間にはできないと考えたからだろう。
以下の図は、民主主義の善と権利を促進する幸福の領域に「自己の幸福」を見出す民主的自律型個人の意識の円モデルである。
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そのため長期にわたって善の行動を実現していくには、善行によって生じる快(リターン)の可能性を「意識化」し、善行によって生じる不快(リスク)の可能性を「無意識化」することが有効になる。現実では善行を行う事に対するリスクが往々にして存在するためだ。
多くの宗教に共通している行動の結果としての善行による天国と、悪行による地獄の概念はこの快、不快の原理を活用している。
民主主義も善行を促していく手段としてこの原理を活用しなければならない。
そうするにはカントの述べた定言命法(普遍妥当と思われる善を促す命令)に基づく行動は、「結果を問わず無条件に正しい」という価値を、個人の尊厳の実現という民主主義の目的と結び付ける事が有効になる。
結果を問わず、というところが重要である。
物事は結果を出せる場合もあれば、出せない場合もある。
「政治は絶望との闘い」という言葉があるように、結果を出そうとすると失敗することが多く、不快となりやる気を失う(特に政治活動のようなボランティアの場合)。
しかし、結果に関係なく正しいとなれば、民主主義の原理を促進する行動が結果を問わず正しい、という善の行動による快が意識化される
実践にでる全ての人が快を実現することが原理上は可能になる。
価値を軽視してはならない。人々が名誉やお金を求めるのも、往々にしてそこに価値を感じるためだ。何に価値を置くかが重要なのである。日本国憲法の民主の原理では人格保障という善に最高の価値をおく。
その一方で、幸福も軽視してはならない。人間の本能である幸福の原理なくしては、長期にわたって行動することは不可能だからだ。
民主主義が永遠の政治闘争の制度であるならば、より多くの人々の参加を促し、長期にわたり継続される意識を作り上げることが必要となる。
道徳と幸福の原理を民主主義の下で融合させる営みは、自然に行えるものではなく、意識的に行っていかなければならない作業なのだ。
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(記事終了)
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