先日、髪をカットにいったヘアサロンで待ち時間に何気なく手にした1冊の本。「神様がくれたプレゼント」

公園で遊んでいた子どもが一人の老人と出会います。老人は穏やかに笑いながら子どもに言うのです。


「君はいつか素敵な『プレゼント』を手に入れることができる」


子どもはそれ以来、毎日毎日プレゼントを心待ちにしていました。けれど、いつまでたってもプレゼントはやってきません。

やがて、大人になった子どもは、老人の言ったプレゼントのことをずっと気にかけながら、過ぎ去った過去を後悔し、まだこない未来を憂い、何の楽しみもない今を嘆きながら毎日の暮らしに追われていました。


かつて子どもだった彼は「あの老人が言ったことは嘘だったんだ」と思ったりもしましたが、あの公園での老人の柔らかな表情や言葉は、無邪気に遊んだ公園での輝かしい日々とともに、とても嘘とは思えず、彼はまたプレゼントがやってくるのを待つのです。








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すっかり大人になり、社会的にも認められ、暮らしにゆとりができてからも、ずっとプレゼントのことを考えつ続けていた彼は、ある日突然そのことに気づいたのでした。


そう、

プレゼント=Present(今)


プレゼントとは『今』のことだったのです。

老人が言ったプレゼントとは、今この瞬間を生きていることそのものが神様がくれたプレゼントなんだということ。

公園で一日中ただ無邪気に遊んでいたあの日、彼はすでにプレゼントを手にしていたのです。

彼は「プレゼントはいつか誰かがくれるもの」と、未来を憂い過去を嘆き、肝心の今をちっとも生きてこなかったのです。


そのことに気づいたとき彼はすでに中年といわれる年齢になっていましたが、それに気づいてからの彼は、もう何も迷うことはなく、一生懸命に今を楽しむことだけを考えてしあわせに暮らしました。









              

あの日、公園で出会った老人に心から感謝。

              
ゴールデンウィーク。仕事柄、自分にはあまり関係ないのだけれど、巷でも今年の連休は飛び石のせいか、近場で遊んだり、家でゆっくりすごす人が結構多いみたい。たまの休みをひたすら寝て過ごすのも悪くはないが、何もしないでも時間はあっという間に過ぎていく。普段はなかなかかまってあげられない自分自身のココロとカラダに少しだけ愛情を注いであげると、自分の中の"自分自身"がこんなにも潤いを求めていたんだと気づかされる。

              

そんなわけで、気軽にできる自分自身を癒す方法その1。

「うまい蕎麦を食いにいく。」

信州で10年ほど暮らしていた頃にうまい蕎麦を知った。蕎麦は、味ももちろんだけれど、あくまで庶民の食べ物だから「安くて気軽に食べられる」ことも大事だと思う。関西人にとってのたこ焼きやうどんといった粉もん文化がそうであるように。

京都でうまい蕎麦を食おうと思うと、老舗の蕎麦屋は格式ばって値段も結構高い。「更科系」と呼ばれる白い上品な蕎麦がほんのちょっぴり盛ってあって1500円とか平気でする。これではあまり蕎麦を食ったという気がしない。うまい蕎麦をズルズルと豪快にすすって、「あ~食った食った。」と満腹にならないといけない。

そこで、うまくて安い蕎麦屋をご紹介。左京区にある「塩釜」さん。玄そばと呼ばれるそば殻つきの状態でそばを保管していて、自家製粉しているから鮮度が違う。蕎麦どころの地元で食べるそばと遜色なく美味い。
しかも並盛りで写真のとおり食いごたえあり。これで750円。そば湯もトロッとそば粉が溶けていて濃い。店は昼間でもうす暗く落ち着いていて、広くはないけど品のある雰囲気のたたずまい。

              

お勧めは、そば粉10割のつなぎを使わない「生粉うちせいろ」。1日30食限定。是非これを、つゆをつけずに蕎麦だけで一口二口食べてみてほしい。ふくよかな蕎麦の香りが喉の奥から鼻腔に抜け、そば粉の味と香りを楽しめる。


朝寝坊した休日のちょっと遅い昼下がり、蕎麦屋の暖簾をくぐってうまい蕎麦と出会い、自分自身がゆっくりとした時間の中に溶け込んでいくのを感じてみる。アタマをからっぽにして、カラダ全体で五感を使って蕎麦を味わう。

自分自身へのごほうび。


春の庭で、花たちが待ちかねたように、次々競うように咲き始める。

真新しい黄緑の葉っぱをひろげ始めたスモモの木の下では、ブルーベリーの可愛い花が鈴なりに。

              


去年は日照り続きで雨が少なかったせいか、実が小さくて少なかった。おととしの豊作のあと、お礼肥えをサボったことも影響しているのかもしれない。だから、去年の秋にはたっぷりと肥料をあげておいた。

さて今年はどうだか。


ヤマボウシの木陰では、すずらんがそろそろ咲き始め。

              

すずらん。可憐で弱々しい感じがするけど、植物としての生命力はとても強くてびっくりする。ほんの2株ほどを庭の隅っこのに植えておいたら、ぼこぼこと、出てくるわ出てくるわ。地下茎を伸ばしてあちこちから顔を出して今ではすっかり群生。厳しい山の自然に鍛えられたからなのか。

しかも、花が終わってしまうと、ただの葉っぱだけになっていまいちぱっとしない…。


玄関に続く枕木のアプローチにはシロヤマブキが今、満開。

              

シロヤマブキは花の白さがくっきりと際立つので、遠くからでも緑の中にポッと浮かび上がるように見える。黄色のヤマブキも鮮やかだけれど、白の方は野性味があって春の野によく合う気がする。


春の庭で、白い花が次から次に咲き誇っている。

つい先日まで、庭の隅っこでニラが、「えっ?これがニラ?」というような可憐な白い花を咲かせていた。ニラなんてレバニラ炒めか餃子くらいしか出番がないけど、野菜としてよりむしろ花をセールスポイントにした方が絶対いいと思う。今度ぜひ転職を勧めてみようと思ってる。宿根草で頑強だから、どこでも育つ。


「君は強くて美しい。自信を持とう。」とニラさんに言ってあげたい。

(ニラさんの花の写真を撮っておくのを忘れたことを後悔…)