サンショウウオの四十九日は、朝比奈秋による芥川賞受賞作であり、その経歴に医師免許を持つという背景があることも含めて、身体や生の捉え方に独特の説得力を感じさせる作品だった。物語の設定はやや奇をてらっており、危うさや戸惑いを覚える部分もある。しかしその違和感こそが、「自我とは何か」という問いに新しい角度から切り込む装置として機能している点に驚かされた。ちなみにオーディブルで聴くと、主語を見失いがちなので、本で読むほうがいいかも。
映画化もされた人気小説『スピノザの診察室』の続編にあたる本書。哲学を思わせるタイトルとは裏腹に、描かれているのは、ごくありふれた日常だ。それでいて、人物たちは驚くほど鮮やかに立ち上がる。主要なキャラクターはもちろん、脇を支える一人ひとりにまで、確かな体温が宿っている。誰ひとりとして、輪郭がぼやけていない。印象的なのは、いわゆる「悪人」が登場しないことだろう。物語には確かに対立や葛藤がある。けれどそれは、悪意ではなく、事情や弱さがすれ違った結果として生まれている。だからこそ、物語は派手な展開に頼らない。それでもなお、静かな厚みがじわりと積み重なっていく。善悪では割り切れない現実の複雑さが、読み手の中にゆっくりと染み込んでくる。大げさに涙を誘うわけではない。それなのに、ふとした瞬間に目の奥が熱くなる。何気ない一言や、小さな選択の積み重ねが、静かに胸に届くのだ。
著者の國分功一郎さんは哲学者であり、現代思想やスピノザ研究でも知られている。この本では、古代から近代に至る哲学者たちの議論を手がかりに、「人はなぜ退屈するのか」という問題を丁寧に掘り下げていく。読んでいて特に興味を引かれたのは、スピノザのエチカに関する話である。スピノザは人間の感情や欲望を倫理の中心に据えて考えた哲学者だが、本書ではその思想が、私たちの退屈や欲望のあり方を考えるうえで重要なヒントになることが紹介されていた。難解なのは承知の上だが、いつか通読したいという気持ちが湧いてきた。あとは、パスカルについてのエピソードも面白かった。人間が退屈に耐えられず、さまざまな「気晴らし」に逃げ込むという彼の指摘は、どこか人間に対してシニカルな視線を感じさせる。暇だから、考えずにはいられない葦ということか…。